■昨日、5月15日放送のサンデーモーニングでは、沖縄復帰50年を「風をよむ」で特集しなかった。例年だと、特に節目の年でなくても、5月15日を迎える週の回で沖縄の問題を取り上げる放送が多かった。基地問題に焦点を当て、米軍米兵による被害に苦しむ現地の実情を橋谷能理子のナレーションで説明していた。沖縄を代弁し、政府を批判し、視聴者を啓発する報道を組んでいた。復帰50年の日の「風をよむ」に期待したが、肩透かしを食わされる結果となった。 偶然とは思えない。意図的な無視であり、報道の不作為である。番組の変節の示唆である。「沖縄に寄り添う」姿勢をアリバイ的にせよ演出していたTBSが、その態度を放棄し、従来からの路線を断ち切った。「沖縄には寄り添わない」方針に変えた。そう解釈せざるを得ないし、視聴者の多くは今回のメッセージをそう受け取っただろう。裏番組のNHK日曜討論でも、沖縄復帰50年はテーマになっていなかった。これも偶然ではあるまい。マスコミ全体が示し合わせて無視を決め込んでいる。沖縄を切り捨てる方針に転換した。 ■2016年7月、参院選の投開票が終わると同時に、高江のヘリパッド建設が強行され、10月には山城博治が逮捕された。機動隊員が「土人」と暴言を吐いたのも10月である。この年は高江・辺野古含めて基地をめぐる大きな対決と闘争があった年で、沖縄県(翁長雄志)が辺野古埋め立ての承認取り消しを求めて国(安倍・菅)との間で熾烈な裁判闘争を展開、12月に最高裁判決が出て県側敗訴が確定している。翌17年4月には防衛局が埋め立て工事に着手、18年12月には土砂投入を開始した。18年8月には翁長雄志が無念の死を遂げる。 2016年の闘争とその帰結を分水嶺にして、沖縄の基地問題についての運動や世論やマスコミ報道は急速に後退した感がする。特に翁長雄志の死の後、オール沖縄への期待や運動挽回のモメンタムは一気に萎縮したように映る。辺野古の問題が日本政治の重要な争点ではなくなり、本土の市民の注意と関心は離れて行った。私自身も、琉球新報や沖縄タイムスの記事を読むことがなくなった。つくづく、翁長雄志あってこそのオール沖縄だと思うし、翁長雄志の言葉と姿があったから応援できていたのだと痛感する。シンボルの存在は大きい。… … …(記事全文4,138文字)