━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2023年7月2日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日刊) 第5章 小沢一郎の敵と味方 新党の動きは山口敏夫に注目 ─────────────────────────────────── 山口敏夫は、昭和15年8月29日、父・六郎次(元衆議院議員)、母・文子の三男として、埼玉県東松山市で生まれた。七人兄姉で、男四人、女三人の下から二番目である。明治大学法学部に入学し、学生時代から、石田博英衆議院議員(元労相)の事務所に出入りし、政治家としての勉強をしていた。大学卒業後、石田博英の秘書となり、労相秘書官を務めた。 父・六郎次は、戦後、衆議院議員選挙を8回戦い、当選、落選を繰り返した。その父が亡くなり、二人の兄が、一人は山の事故で、一人は病気で26歳で早世していたので、昭和42年1月29日の第31回総選挙に埼玉2区から出馬して、初当選を飾った。当時、全国最年少の26歳だった。以来、10回連続当選を記録している、 しかし、この出馬には、父の苦闘により厳しい生活を強いられた母が、大反対した。選挙で当選できたときは、まさに天にも昇る思いを味わえるのに対して、落選したときの悲惨さは言語に絶するほどである。 「猿は木から落ちても猿だが、政治家は、ただの人となる」 などと椰楡される。それこそ、それまでの支持者たちは去り、反対に、借金取りがドッと押しかけてくる。警察の選挙違反摘発も一段と厳しくなる。山口敏夫自身も、父が落選したときの悔しさや屈専を身に染みて体験していた。 「議員会館や、議員宿舎の荷物を入れたり出したりしたときの屈辱と辛さを、子ども心にいまでもよく覚えている」… … …(記事全文3,751文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)