━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2022年12月4日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆『小沢一郎の時代』(1996年2月6日刊) 第6章 小選挙区制度で可能になった憲法改正への道 父・佐重喜の意志を受け継ぐ ─────────────────────────────────── 小沢一郎は、昭和十七年五月二十四日、東京・下谷で生まれ、父・佐重喜の生まれ故郷の水沢市で育った。水沢市は、奥羽山脈と北上山地を両サイドに望む美しい北上川沿いの静かな美しい町である。 父は、衆議院議員だった。貧しい身から苦学して日本大学法科に進み、弁護士となる。東京市議会議員を経て、国会へと進み、郵政相などを務めている。 その父が政治生命を賭けてきたのが、小選挙区制度の導入問題だった。衆議院の「公職選挙法改正特別委員長」として表向きは「カネのかからない選挙」の実現を宿願としていた。しかし、その背景では、「日本の再軍備」のための「憲法改正」とそれを実現するための手段としての「小選挙区制」の導入を目的としていた。小沢一郎は、その父の遺志を受け継ぎ、これだけは「成功」させたいと願っていたようでもある。 小沢一郎は、内憂外患の「国難」意識を抱き、自ら平成維新の志士の気概を持って、国政に当たっている。黒船来航の時代、西郷隆盛が軍事力によってでも打倒しようとした敵は、三百年続いた封建体制だった。徳川幕府による幕藩体制である。 小沢一郎は、「日本改造計画」のなかで、自分が最も尊敬する日本の政治家四人をあげて、それらの偉人たちの業績に学び、これに習おうしている姿勢を示している。… … …(記事全文2,403文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)