━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2022年9月2日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「日韓トンネル」は、いざというときに朝鮮半島から朝鮮人が福岡・下関に入り込み、一帯を占領してしまう、いわゆる「保障占領」を許してしまうものだ。「旧統一教会とは知らなかった」で済まされる話ではない。 ─────────────────────────────────── ◆〔特別情報1〕 山口県には下関の近くに湯田温泉がある。ここは、昔から韓国からの出稼ぎが多い温泉町だった。温泉芸者にも韓国からの出稼ぎ女性が多くいて、「枕ひとつで」子供が出来てしまった名の知れた国会議員が何人かいた。しかも、その子どもが、二世議員となって地盤を継いでいたりもしているのだ。 その一人が、田中龍夫である。田中龍夫は、首相を務めた田中義一の長男である。筆者は、毎日新聞政治部に配属されてほどなく、文部省を担当し、1980年7月17日に発足した鈴木善幸内閣のもと文部大臣に就任した田中龍夫の、地元山口の選挙区(山口第1区)への就任挨拶に同行した。最初に、田中龍夫にとっての最大のスポンサーであった宇部興産に出向いて社長に就任のお礼の挨拶をし、その日は湯田温泉に行って一泊した。その間は、田中龍夫の長男である田中素夫が、田中文部大臣に同行してきた番記者たちの接待係を担当していた。翌日には、いよいよ五松閣(旧田中邸)に入り、お祝いに駆け付けた大勢の地元後援会の人たちに向けて挨拶をした。五松閣の庭で行われた祝宴で田中龍夫は自らお銚子を持って、後援会の一人一人にまわってお酒を注いで挨拶に回っていた。その姿を見ながら、政治部記者として駆け出しだった筆者は、これが選挙というものかと思ったものである。田中龍夫は、山口県知事を経て衆議院議員になっているだけに、地元での支持者は実に多かった。湯田温泉から萩市に入ると、田中龍夫の挨拶まわりに、田中龍夫とまるで生き写しのようにソックリな地元県議会議員がいた。 その県会議員こそ、田中龍夫の地盤を引き継いだ河村建夫元官房長官である。田中龍夫の大臣就任の挨拶に随行していたのだ。あまりに顔が生き写しで瓜二つなので、恐らく、番記者たちのほとんどが「ははーん」という思いで、親子関係に勘付いていただろう。地元では公然の秘密であったはずだ。しかも、湯田温泉の韓国出稼ぎ温泉芸者について「枕ひとつで」との表現は、他でもない田中龍夫自身が発した言葉であったのだ。 もうひとつ、特筆しておくべことがある。田中龍夫大臣就任の祝賀会に参列していた人のなかに、ソ連兵と戦った後に捕虜となかってシベリアに抑留されていた人がいた。当時の萩市長だった。日本に帰還し、日ソ共同宣言によって国交回復し、生活は普通に暮らしているのだが、ただひとつ変わっていないことがあると話していた。それは、ソ連から何かの拍子に指令が出ることになっていると話していた。捕虜たちのネットワークを通じて「ソ連軍のために一斉蜂起せよ。米軍と戦え」との指令が出るという。しかし、そのことを日本の警察は知っており、定期的にシベリアに抑留されて帰還した元捕虜の人たちに「何か言ってきたか?」と警察が調べに来るという。 ◆〔特別情報2〕 以下、ウィキペディアをもとに、田中龍夫の略歴を抜粋しておこう。… … …(記事全文4,308文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)