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板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~

板垣英憲(政治評論家)

板垣英憲

1939年11月30日ソ連がフィンランドに侵攻した「ソ・フィン戦争」は、いまのウクライナの戦況と似ていた。ソ連から仕掛けた戦争ながら、ソ連から和平を申し出た。しかし占領された土地は返ってこなかった。

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板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~

                         2022年5月19日

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世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で
行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速
報する。
                         政治評論家 板垣英憲

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1939年11月30日ソ連がフィンランドに侵攻した「ソ・フィン戦争」は、いまのウクライナの戦況と似ていた。ソ連から仕掛けた戦争ながら、ソ連から和平を申し出た。しかし占領された土地は返ってこなかった。
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 本日も、昭和39年発刊の西村敏雄元陸軍少将著「北欧諸民族の祖国愛」からフィンランドの防衛団について紹介しておきたい。第二次世界大戦の勃発から3か月目にあたる1939年11月30日に、ソ連がフィンランドに侵攻した「ソ・フィン戦争(冬戦争)」が、いまのウクライナ侵攻の戦況と似た展開にあった。フィンランドはソ連からの侵攻に、まさに各地の防衛団が抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守っている。3ヶ月ほど続いた「ソ・フィン戦争」は、ソ連としてはフィンランドを一気に制圧出来るものと見込んで攻め入ったものの、思惑は外れ苦戦を強いられた。ソ連から仕掛けた戦争でありながら、最後は、ソ連の方から和平を申し込んだ。ただし、ソ連軍に占領されている村々は、悉くソ連領として削り取られて、永久に返ってこなかった。しかし、それでも独立を守った背景には、「防衛団」の存在があったことを西村氏は、多くの村人たちからの証言をもとに書き残している。当時、人口350万人のフィンランドを制圧するのに、そう手間暇かからないと高を括って進軍したのが、行く先々で「防衛団」の抵抗にあい、大誤算の苦戦を強いられたのだ。ちなみにソ連はアフガニスタン侵攻のときには、山岳地帯での不慣れな戦いに苦戦を強いられている。フィンランド侵攻では、雪山で進軍が遅れる一方、フィンランド人たちは靴を履くかのようにスキーを履いて戦う「スキー兵」が、楽々と雪山を越えて大軍ソ連軍を翻弄し戦った。以下、昭和39年発刊の西村敏雄元陸軍少将著「北欧諸民族の祖国愛」より印象的な箇所のつづきを紹介させて頂く。


珍しい軍隊は役に立つたか

 フィンランドが二十年間もかかつて、営々として村民の手に依つて造り上げられた、村の軍隊と云った形のこの防衛団は果たして役に立つ代物であつたろうか?或いは単なる飾り物、おもちやであつたろうか? これは頗る興味ある研究問題である。所で私は偶然にも昭和十四年に、ソ芬戦と称する戦争(云いかえれば無警告に、東方国境全正面からソ連軍がフィンランドに雪崩れ込んだ戦争)の時に、宛もヘルシンキに駐在して公使官附武官を勤めておったので、その友情を確める機会を得た。フィンランドは国の総人口三百五十万人、その時の正視陸軍の兵力二箇師団と騎兵一旅団で、その総数はようやく五万人ぐらいであった。昭和十四年の暮に、ソ芬国境八百粁正面の中部、南部の地方から約三十箇師団四十乃五十万と思われる。ソ聯の軍隊が雪崩の如く国境を越えて侵入して来た。此の時のフィンランドは実に愕然とした風貌であつたが、「仕方がない! 戦えるだけ戦い、防げるだけ防ぐのだ!」と言つた考えのフィンランド国民は、黙々としてこれに対戦してた。然し正規軍隊は約五万ぐらいで、丁度ソ聨の侵入軍の一割にしか満たないのであるから、何処も正軍隊の戦線は圧迫されながら、逐次国内に一歩一歩後退すると云う有様であった。恐らくソ聨軍側は、ほんとに指折り日数の中に全フィンランド九ヶ州を、完全に席捲し得ると思つたに違いない。凡そ常識的に考えても、人口三百五十万のフィンランドを取つて押えるに、そう手間暇かかるまいとソ聯で思うのもむべなるかなである。所が案に相違の問題が到る処に起った。ソ聯側は此の正面にはフィンランド軍隊は居ないと思って、堂々と道路に沿って無血侵入のつもりで進軍を始めたところが、国境・の村ですぐ抵抗にあった。漸くその軽い抵抗を打破って、次の村に進むと又抵抗にあつた。これは何か?例の村毎に編成された防衛団が『自らその村を譲ると云う誓い』の通り、生命をかけて造つた陣地であり敵対行為であつたのである。これはソ聯の側ではまことに驚いた事であった。こんな軍隊がどの村にも、どの村にもあるとは思わなかつた。勿論村の軍隊へ(防衛団)は一ケ村で千人か二千人であつて、せいぜい小銃、機関銃の若干と火砲、いい所では戦車、装甲自動車数台を持つていると云う程度であるから、ソ聯の完全な武装した一箇師団(一万五千人とそれに数十門の大砲を持ち、十数台の戦車を持つ軍隊)に押しまくられては、長期の抵抗は勿論出来ない。大抵は一日一晩持ち耐えただけ、次の日にはソ聯軍に次の村へと前進した。然しその都度ソ聯軍側としては、新たなる抵抗にぶつかりながらそれを押して行くのであったから、どうしても一村を越えるに何日かはかかる。時に三日も四日もかかると云うような所もある。これはソ聯軍隊には大変勝手ちがいのことであって、丁度裸足で竹藪を踏み進むような工合、ソーツト足を突込みその足もとに何かあるかと用心しながら前進すると云う風がソ聯の軍隊の動きに見えた。珠にそのソ芬戦の時期を、ソ聯側ではどう考えたものか真冬を選んだ。この真冬の時期こそ、フィンランドの防衛団の戦の場であつて、彼等は我々に下駄を履く如く、西洋人が靴を履く如くに、スキーを履いて雪の上を走り廻る国民である。此の村人達が昼間はじっと防ぎ戦い、夜、雪の野山をスキーを履いて走り廻る姿は、まことにソ聯軍隊に取っては、目まぐるしい夜の邪摩者に考えられたに違いない。所でその戦の実際の一例として私は次の記憶を思い出す。或る日ヘルシンキで新聞を見ると或る村では、これは多分ヌルメスの郊外であったと思うが、ソ聯の正規軍隊を、村の防衛団が撃攘したと云う記事が出た。フィンランド人は、こう云う記事を余り新聞で誇張的に書かない習慣を持っている。これは支那事変、大東亜戦争当時の日本の新聞が、大きく誇張的な記事で取扱っておるのに比べて、まことに対照的なものであつた。それは一面フィンランド人は地味な考えから来るのであろうが、此の時のことも大した誇張的な記事でなく、実にあっさりそう云うことが書かれた。私は興味を持って此の村を訪れる気になった。そして雪の中を自動車で出かけて行ったのであるが、戦揚に着くとソ聯兵の死骸が、累々と雪の中に横たわつていた。まだ生々しい戦場で戦後一週間ばかりの事であつたと記憶する。私は来て見て、此の村では明らかに勝つたなと云う実感が出た。そこで私はかつて訪れたことのある教会を訪ね、その当時の様子を訊こうとしたのである。と云うのは村人の大部分はもう既に後方に避難してしまう、教会だけが残っておる様子であつたからである。教会に行ってみると顔なじみの若い牧師はいないでまことに年老いた、七十才ばかりの白髪い老牧師が私を案内してくれた。私は、その老牧師にいろいろと村の戦いの様子を訊いた。その内老牧師は、私の伜も此の村で戦死したと云う話を聞かした。勿論召集された兵隊としてではなく、防衛団の一員としての戦死であつたのである。その戦死は、牧師が決死隊に行つたと云うことである。私は特に興味を持つてその様子を詳しく訊くと、老牧師は自らスキーを履いて、その戦死の場所に案内してくれた。小高い百米位の丘の上にあがると、松のまばらな林のあちこちの雪の中に、無造作に棒杭を打ち込んだ墓が二十本ばかり立ち並び、その側面を削り名前を書いた極く粗末な墓、その一本が此の旧知であった青年牧師の墓であつた。此の時老牧師は次の物語りをしてくれた。実は此の村に侵入して来たソ聯軍は、此の山の麓を通っておる自動車の通う大きな通路の一本に沿うて前進して来た。村の防衛団は、丘の一帯に陣地を造つてこれを食い止めておつた。村人達は日が暮れると同時に、家具家財を車や馬に積んで、ぞろぞろと後方に退き始めた。所詮一夜あけると此の陣地も、ソ聯軍に踏み破られて村も占領されると思ったのであろう。この時夜になって各方面に斥候が出されて、此の青年牧師も、一人の将校斥候として出かけたが帰って来て、敵は確実に過失を犯しているから、此の側面を突いてやれば、必ず勝利の見込があると云うことを防衛団長に報告し、自ら二十名の手勢を以て決死隊に行くことを志願した。防衛団長は勿論これを許した。そこで牧師は、其処此処に屯して守備している人達に向つて、自分の決心を述べて決死隊に行く二十名の人々の賛成を求めた、すると我も我もと飛び出した決死隊員は、その牧師が親ら宣誓をさせて入団させた、十六才から、二十才までの少年達ばかりであったと云うことである。此の少年達を連れて牧師は出かけた。各自小銃の外に機関銃を二挺づつ、首から革でしつかりとぶら下げてスキーを履いて出かけた。青年牧師プ先頭に立つて、裏路を裏路を廻って此の小高い丘の上に来た。そして今墓のある此の辺に来て二十挺の機関銃を据附けて、その丘の下に天幕を張って宿営しているソ聯軍の、師団司令部を目がけ一斎に撃ち出して殆んど之を全滅させ、続いてその二十挺の機関銃の銃先をソ聯軍の前衛部隊、丁度我が防衛団の本隊と対峠しておる、ソ聯軍の前衛部隊数千名の天幕に向つて撃ち込んだ。散を乱して天幕を飛び出し、雪の上を我先にと走りまどう、ソ聯兵を我が防衛団の本隊は立ち上りざま雪の上を、スキーを履いて腰だめの鉄砲を撃ちながら襲撃をかけた。此の野山を滑りながら、撃ちながら襲撃すると云うのが、フィンランドの軍隊及び防衛団の慣用の戦法であって、不断からこの戦法を主として練習しておるのである、そこで此の混乱したソ聯師団の前衛になだれを打つて退却し、此のなだれと共にソ聯師団の本隊も共々に、国境遠く退却をしたと云うわけである。まことにどうも桶狭間の戦いでも見るような話であるが、此の二十名の決死隊はソ聯軍の前術数千のなだれとまともにかぶつて、機関銃の弾丸の限りを撃ち尽くしてその場に戦死して居たという。防衛団の戦死者は、僅に此の二十名だけであつたと云う話である。これは勝手を知った自分の村での戦争で、まことに有利な奇襲的な戦の出来た一つの典聖的な例であつたろうと思う。然しそれにつけても私は、此の戦死した青年牧師は偉いと思う。此の青年牧師は、防衛団入団式に自ら語つた通り実行した。此の村に戦争があつたら身を以て、村人の生命財産を守るために戦うことを誓い、神に誓ったその通り牧師も実行し、その牧師の宣誓で入団した少年達が、その言葉の通り実行したと云う所に私は大きな値うちを見たのである。こう云うことは一つだけの例ではない。諸所にこれに似た話が幾つもある。勝つた所、負けた所、或は数日数週間を食い止めた所、此のように涙の出るような美談は数限りなくあるのである。然しその美談を聞く毎に、只管に私はフィンランド人の、強烈なる愛郷心に胸打たれるのである。

 フイノ・カレロ共和国
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…(記事全文6,770文字)
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