━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2021年11月20日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆「猶太思想及運動」〈下〉四王天延孝陸軍中将著 附録第一 支那猶太の悲劇 (米國猶太雑誌所載)―2 ─────────────────────────────────── 前回からのつづき https://foomii.com/00018/2021111416200087373 第十六世紀の始め頃ジエスイツトの宣教師が支那に着いて、永い間孤立の生活をして居た支那猶太の子孫たる同胞の値打を落し始めた。 ヘブライ語の知識は最早普及しなくなった。多くの者は猶太のやり方を捨てゝ土人の風習を採用して居った。或る者は土人の娘を嫁に貰ひ、又猶太の娘を支那人に嫁せしめた。或る者は猶太人の多数居住する都市を去って、一人も猶太人の居ない町に移った。其處(そこ)で忽ち周囲の住民の仲間に捲込まれ同化して終った。實に同信、同胞の者から切り離された彼等が幾ばくもなく猶太人として生存しなかった事は注目に値する事である。ブルノ・クローカーは之に就て次の様に述べて居る。 "留意すべきことは、彼等猶太人が十九世紀を通じて特別なる社會組織を維持し、昔の信仰と教育とを墨守し、エホバの命令を恭(うやうやし)く遵守し、アブラハム、アイザック、モーセとヤコブの傅統を持続して、今でも現實生き残って居ることである。西アジアから来たマニチェアンやネストリア基督教徒などは敷代又は敷世紀続いたが消え失せてしまった。然るに猶太人は如何なる他の宗教團(団)隊よりも、モツト遥に隔離されて居りながら、彼等の信仰を身に行ひ、決して土人の猶太教への改宗者を求めはせず一千年以上に亙り、(開封では約二千年に亙り)持続した。所が預期出來なかった悲惨事と災厄が終に彼業の最後の忠實な組合を終焉に導いた" 教父マッテオ・リッキと云ふジェスイット派の支那派遣宣教師の首長は数年間北京に定住して居った。すると千六百五年の六月に一神教信者でジェスイツトの同信のものだと云ふ男が訪れて来た、どうも支那人らしく、支那服を着け、辨髪を尻尾の様に垂れ、凡ての仕こなしが支那の土着民その侭(まま)であった。教父リツキの方ではキリスト教信者であると考へた、相手の訪問者は實にアイ・テイエンと云ふ猶太人であって、リツキを猶太人だと思ひ込んで居たらしい。話をして居る間に双方とも間違ひである事が判った。リッキが段々訪問者を見て居ると成程顔附きが支那人と違ふ事が判って来た。その時の談話に就てリッキは次の様に書いて居る。… … …(記事全文2,422文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)