□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2013年2月2日第91号 ■ ============================================================== 安倍首相の「新しい国へ」(文春新書)の中に書かれたウソ ============================================================== 安倍首相の就任とあわせて発売された「新しい国へ」(文春新書)を買って読んでみた。 これは基本的には2006年に刊行された「美しい国へ」の焼きなおしであり、再び政権を取ったことにより「私が考える具合的政策」を付加えて再刊されたものだ。 特に目新しいものはない。読んでみて特段の印象が残らない。 なぜか。それは自らが書いていないからだ。ゴーストライターが聞き書きしているからだ。 だから迫力をもって伝わってこない。 しかし私が注目したのは別の事だ。 その中で、ウソの記述を見つけた。 ウソが言い過ぎであれば、明らかな脚色と言ってもいい。 彼は父親の安倍晋太郎氏が外相の時、秘書官をつとめた頃を返って「政治家同士の関係が築く同盟国の信頼」(37-38ページ)という見出しで次のように書いている。 ・・・「創造的外交」それが父のテーマであった・・・レーガン大統領と中曽根首相の「ロン・ヤス」関係はとても有名になったが、父もシュルツ国務長官との間に深い信頼関係を築いていた。この時期、日米関係が極めて友好的だったのは、こうしたそれぞれの信頼関係が影響している・・ これは書きすぎだ。 「創造的外交」とは、中曽根外交の向こうを張って官僚が作り出したキャッチフレーズに過ぎない。おりから対立していたイラン、イラクの双方と良好な関係をもつ日本を売りにして、当時中東・アフリカ局長だった三宅和助(三宅雪子前議員の父)が名付けたものだ。決して政治家安倍晋太郎が自らの外交構想を唱えたものではない。 安倍晋太郎外相とシュルツ国務長官がどこまで個人的に親しい信頼関係を築いていたかは私は知らない。しかし少なくとも次のような光景を私は目撃している。 あれは1980年代半ばのアセアン外相相会議の時だ。たしかバンコックで開かれた時だったと思う。 ホテルのロビーでシュルツ国務長官が両手をあげて歓迎のジェスチャーを見せた時だ。安倍外相はそれが自分に向けられたものと勘違いしてシュルツ国務長官に歩み寄ろうとした。その少し前を小柄なシンガポールのダナバラン外相がやはり両手を上げてシュルツ長官に歩み寄り抱き合って挨拶を交わした。つまりシュルツ長官ははじめからダナバラン外相を見つけて彼に挨拶を送っていたのだ。少なくともシュルツ長官は日本の安倍外相よりもシンガポールのダナバラン外相のほうに親しみを感じていたというわけだ。 安倍首相のこの記述はあの時の光景をまるできのうのように思い出させてくれた(了)。 ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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