□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2011年4月21日発行 第288号 ■ =============================================================== 「責任回避の楽園」に身を置くこの国の指導者たち =============================================================== 大震災からの復興を戦後の復興に重ねあわせているのだろうか。 4月21日の読売新聞が2ページを割いて昭和時代を検証している。 その中に、「昭和戦争の過誤」という見出しで、「なぜ、国力に 大きな差がある米国を相手に当時の政治・軍事指導者たちは戦争に 踏み切ったのか」という自問自答のくだりがある。 この答えは、もちろん当時の指導者たちが責任をなすりつけあっ て誰一人真実を語る勇気を持ち合わせていなかったことにある。 ここで私が言う勇気とは死を覚悟するという勇気も含めてである。 開戦前の状況は、それを語れば軍部に殺される危険があった。それ ほどまでに後戻りできない状況に追い込まれていたのだ。 このような指導者達の勇気のなさと無責任さについては、我々は 多少なりとも史実に触れて知っている。しかし、知っているつもり でも、やはりこんな話を聞くと、あらためて当時の指導者の無責任 さを思い知る。 ここからが今日のメルマガの本旨である。 その読売新聞の記事は、昨年公刊された「提督達の遺稿 小柳 資料」(水交会刊)を引用し次のように書いている。 ・・・敗色が濃厚になった1944年夏に海軍次官に就任した 井上成美(しげよし)は、こんな証言を残している。昭和天皇から 燃料の備蓄状況を聞かれたため部下に資料を求めた。すると「本当 の事を書きますか」と聞くので、事情をただすと部下はこう答えた。 「嶋田大臣の時はいつもメーキングした資料を作っておりました」 嶋田大臣とは日米開戦を決定した時の海相、嶋田繁太郎のことで ある。開戦か避戦かという国家の一大決定も、その後の戦況判断も、 その基となっている情報自体が軍事官僚たちの手で恣意的に操作され ていたのである・・・ この史実を読売紙上で山内昌之・東大教授がこう語っている。 「軍人たちは非常に曖昧な責任回避の楽園にいた」 責任回避の楽園にいたのは当時の軍人たちだけではない。すべて の指導者がそうだった。 そしてそれが66年余経った今でもまったく変わっていないことを 今度の原発事故は見事にあぶりだしてくれた。 責任回避は指導者だけではない。指導者の誤りに気づいていながら それを正面から指摘しない、できない、山内のような有識者、大手 メディアもまた曖昧な責任回避の楽園に身を潜めているのだ。 日本を根本的に変えるしかない、という言葉が最近やたらに発せられ る。しかしここを変えない限り日本は変わらない、変われないのである。 あの敗戦でも変わらなかった日本を、今度こそ国民の手で変えられる のか。今我々は正念場に立たされている。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)