□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2011年1月13日発行 第22号 ■ ============================================================= 週刊ニューズウィーク誌日本語版が書いた新聞批判特集記事 ============================================================== 「マスゴミ」。 様々な誹謗中傷や罵詈雑言が飛び交うインターネットで、日本の新聞は テレビと並んでこんなありがたくない称号を与えられている・・・ こういう書き出しで始まる週刊ニューズウィーク誌日本版1月19日号の 特集記事「だから新聞はつまらない」は、新聞批判記事の決定版である。 いわく、閉鎖的な記者クラブ制に胡坐をかく大手新聞 いわく、権力と癒着した記者たち いわく、コピーしたような各社横並びの一面トップ記事、 いわく、政局しか伝えない政治面、 いわく、企業のプレスリリースに毛が生えた程度のビジネス記事、などなど どれも我々が毎日目にしている今の新聞の姿である。 私がこのニューズウィークの記事で注目したのは、新聞劣化の原因を記者 クラブ制にばかり帰する者たちに対しても批判している事だ。 すなわちニューズウィーク誌は言う。確かに記者クラブ制は新聞をダメに している原因のひとつである。しかし新聞がつまらなくなった本当の理由は 記者の劣化であると喝破する。 現場至上主義の日本のメディアは、取材に熱心なあまり現場で取材すれば そこで終わり。記者はニュースについて深く考える事を放棄してしまっている、 と言う。 取材源である権力に取り入る事に必死になり、権力批判というジャーナリズ ムの視点が抜け落ちてしまっている、と。 その姿を象徴的にあらわす光景としてニューズウィーク誌は次のように書い ている。 民主党幹部が記者会見場に入り小沢問題で民主党の方針を説明し始めた時の 光景である。 「・・・演壇の正面に陣取った数十人の記者が、一斉にノートパソコンに 向かって一心不乱にキーをたたき始めた。(発言者の)表情には一瞥もくれず、 何かに取りつかれたように猛スピードでその発言を一語一句逃がさずにメモを する。メモは、先輩記者やデスクが記事を書くための材料にされる。最近の 永田町や霞ヶ関では、ごく日常的に見られる光景だ・・・そこに分析や思考、 (話しての表情を読み取る)洞察といった知的作業はない・・・」、と。 そして思考力のある一部記者の「異論」は、たとえそれが正論であっても、 押し流されてしまう、と。 新聞記者のほとんどが、いかにライバル記者を出し抜いてスクープを取るか ということに心を奪われる。 言い換えれば自分だけが取り残される事を恐れる。 NHKや朝日新聞や共同通信などと見出しが違えば、記者本人は内容が 正しいと信じていても、上司が『間違っているのではないか』と不安視する。 その結果、見出しや記事が似通ったものになる傾向に拍車がかかっている。 それこそが新聞をつまらなくしている元凶だとニューズウィーク誌は言うのだ。 毎日の新聞を比較して読んでいる私は、つくづくその事を感じる。 たとえばである。 先般の前原外相の訪米に関する各紙の報道振りはどれを読んでも似たような 見出しと内容であった。 ところが発売中の週刊新潮1月20日には「ホントは歓迎されなかった前原 外相訪米」と見出しをつけて要旨こう書いている。 訪米の目的はフロリダ州への新幹線のトップセールスだったが、前原外相が ワシントンでの会談設定を要望した。目新しいお土産は何もなかったので米 政府は難色を示したが外務省の必死の働きかけでクリントン長官、バイデン 副大統領との会談を設定できた。しかし会談の成果は目新しいものはゼロ。 前原外相は袖にされなかっただけだった。嗚呼、勘違い。米国は前原外相を 歓迎した訳ではなかったのだ、と。 そうだったら初めからそう書いてくれよ、と言いたくなるが、こんな事を 書いた大手新聞は皆無だった。 どの新聞も前原外相は大歓迎された、クリントン国務長官との会談でいくつ かの合意がなされた、と報じた。 新聞はつまらなくなっただけではない。 本当の事を書かなくなった。書けなくなったのだ。 そんな新聞と私は毎日格闘しているのである。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)