□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2011年1月8日発行 第13号 ■ (昨日の第13号は12号の誤りでしたので13号を繰り返します) =============================================================== 「正義論」を論じている余裕はない =============================================================== 米国ハーバード大学のマイケル・サンデル教授という政治哲学者が 「正義」を語ってブームになっている. そのサンデル教授の「正義論」のはるか40年ほど前に、同じく米国 の政治哲学者であるジョン・ロールズ氏が「正義論」を発刊した。 そのジョン・ロールズ氏の「正義論」(紀伊国屋書店)の書評が1月9日 の読売新聞の書評欄に載っていた。 堂目卓生(どうめたくお)という大阪大学教授の書評である。 その書評にサンデルとロールズの正義論の違いが次のようにわかりやすく 解説されていた。 「・・・ロールズが書いた基本ルールは次の二つだ。第一に、参政権や 思想・言論の自由など、基本的な自由は社会構成員のすべてに平等に与え られること。第二に、富や地位の不平等は、均等な機会のもとで生じたもの であり、最も不遇な人びととの境遇改善に役立つ場合にのみ認められること。 これらは、個人の自由と、富や地位の平等な配分をバランスさせようとする、 中庸を得た原理である。 ・・・サンデル教授は、ロールズの正義の導き方を批判する・・・ ロールズはリベラリズムの立場に立って、『善い生き方』は個々人の自由な 選択に委ねられるべきだと唱えた。 一方、サンデルらコミュニタリアンは、個人は『善い生き方』を共同体から 学び取る存在なのだから、共同体は『正義』の問題だけでなく『美徳』の問題 にも積極的に関与していくべきだと主張する。 戦後、日本はロールズ的なリベラリズムを基礎に、復興と繁栄を追い求めて きた。社会は、個々人の『善い生き方』には関与せず、基本的な自由を平等に 分配することに努めた・・・ しかし、半世紀を過ぎた今、私たちは厳しい現実を目にすることになった。 経済は停滞し、格差と貧困が拡がり、政治は混乱し、社会は無縁化しつつある。 『善い生き方を個人の選択に委ねたことに問題があるのではないか。これからは 、社会全体で美徳の話をしよう』という声に心惹かれても不思議ではない状況 である・・・」 こう述べた後で、評者の堂目教授はこう書いている。 「・・・私たちは、『善い生き方を個人で選ぶ自由』が、欧米だけでなく、 日本においても、多くの命の犠牲を払って手に入れたものであることを忘れ てはならない。リベラリズムを手放すことなく、(同時に)個人間のつながりを 深める事によって、共同体としての活力を取り戻し、経済、政治、社会の諸問題 を克服する道を模索すべきである・・・」 もっともである。 しかしどちらの正義論が正しいかを論ずる前に、それらの正義がまったく実現 されていない現実を直視すべきだ。 正義論を論ずる余裕のない不正義が横行し、放置されているところこそ喫緊の 問題なのである。 私が「正義論」に興味を持てない理由がそこにある。 絶対的な不正義を放置する権力者の怠慢を糾弾し、改めさせる事こそ真っ先に 行なうべき事だと考えている。 私の言動のエネルギーの源泉はそこにある。 了
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