□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年12月29日発行 第282号 ■ =============================================================== 北朝鮮との平和条約締結の可能性はあったと証言したペリー元米国防長官 =============================================================== 12月29日の毎日新聞は、28日に行われた毎日新聞とのインタビュー を引用しながら、前原外相が日朝対話の再開に強い意欲を示したと報じた。 る。 しかし、中国との関係悪化の張本人である前原外相では日朝関係の改善は 100%無理だ。 出来もしないことを軽々しく口にする政治家前原の無責任さは既にあらゆる 機会に証明済みである。 しかし日朝関係の改善は必要であり重要だ。 そして日本外交が正しく行われていればそれが出来る可能性はあった。 12月29日の日経新聞でペリー元米国務長官が「私の履歴書」(28回) で次のように語っている。 「・・・もしあの時、クリントン長官が訪朝し、金正日と面会していたら、 我々は核開発計画停止に関する合意だけではなく、ミサイル問題も解決できて いたかもしれない。そして『休眠状態』にある朝鮮戦争を正式に終わらせ、 米朝間で平和条約を締結した可能性もあった。私が今でもそう感じるのには 理由がある。あの時、(北朝鮮特使は)私との私的な会話の中で、金正日が 私の提示した考え方を『全面的に理解し、これを受け入れるだろう』という 感触を伝えていたのだ。 だが政権末期のクリントンにはもう時間がなかった。最終的には彼は 北朝鮮の核問題ではなく、中東和平交渉の仲介に集中し、訪朝計画は見送っ たのである・・・」 これは2000年10月8日に北朝鮮の特使が訪米し、米国側に、 「米国が北朝鮮の安全を保証すれば金正日が『現在の対立と敵対の関係を平和 と親善の関係に転換する重大な決断を下す』と表明した」事を振り返って 述べた言葉である。 それからわずか一年も経たない2001年9月17日、小泉首相の電撃訪朝 があり拉致問題と国交正常化を謳った平壌宣言が結ばれた。 北朝鮮は間違いなく米国や日本との国交正常化を望んでいたのだ。 あの時、日本は米国と相談せずに単独で平壌宣言を結ぼうとして米国を怒らせ た。出し抜かれたと思った米国は北朝鮮の核武装を持ち出して平壌宣言を潰した。 拉致問題の不透明な決着が国内世論の反発を受けて平壌宣言は死文化した。 もしあの時、日本外交が正しく行われていたとすれば、すなわち米国の事前 了解を取り付け、拉致問題の正しい解決と引き換えに国交正常化を実現していた ならば、日本は米国に先駆けて北朝鮮との国交正常化を成し遂げられていた 可能性は確かにあったはずだ。 功をあせった政治家と官僚が千載一遇の機会を損なったのである。 しかし、正しい外交は何時でも開けている。 それは根拠のない無責任な発言からは産まれてこない。 正しい状況判断と、国民の支持を背景にした王道を歩むということだ。 その叡智と勇気を持つ政治家と外交官が今ほど求められている時はない。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)