□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年11月26日発行第224号 ■ =============================================================== 裁判員制度の見直しは不可避だ =============================================================== この国にとって朝鮮戦争よりも大きな出来事。それが裁判員によって 初めて下された死刑判決である。 11月26日の各紙は皆これを一面トップで取り上げている。 重罪事件の裁判が行なわれるたびに報道される裁判員制度。裁判員の悲喜 こもごも。 こんな報道が一体いつまで続くのだろう。報じるべき事はほかにいくらでも あるはずだ。 私は、当初より裁判員制度に反対してきた一人である。 裁判員制度の内容もさることながらそのプロセスが不透明だ。 裁判官、検察、弁護士三者の奇妙な利害の一致で、国民の知らないところで 出来た裁判員制度。 それが本当に国民の為にできたものか。 裁判の民主化というが、民主化なら外にもいくらでも方法があるはずだ。 しかしいまさら廃止ということにはならないだろう。彼らの面子がかかって いる。 いいだろう。廃止しなくてもいい。しかし見直しはもはや不可避だろう。 導入後一年たってその必要性がいろいろ指摘されている。 しかもこの制度は、導入当時から将来の見直しが前提となっていた。 見直すべき事はただ一ついい。あれやこれやとややこしい議論は不要だ。 枝葉末節だ。問題の本質を見えなくするだけだ。 唯一の見直し点は何か。 それは、裁判員の義務化をなくすことだ。裁判員になりたい者だけさせる、 なりたくない者の拒否の自由を認める、これである。 当たり前だろう。やりたくない者に強制的にさせるのは徴兵制と同じだ。 意に反する事を強制されないことは憲法で保障されている個人の権利だ。 裁判員をしたい者は人を裁く事にともなう苦しみなど承知の上で裁判員を 引き受けるのだから文句はない。 かつて裁判員制度導入の時、こんな投書を新聞で読んだことがある。 自分は裁判官になりたくて司法試験を受け続けたがついに合格しなかった。 裁判官になれなかった。ところが裁判員制度ができたおかげで自分も人を裁け るようになった。長生きしてよかった、と。 これには笑ってしまった。 こういう者がいるのだ。これらを裁判員にさせればいいだけの話だ。 なぜ裁判員を自由選択性にしないのか。 かつてある弁護士が私に言った。 そうすれば誰も裁判員のなり手がなくなる。裁判員制度が成立しなくなる、 と。 やっぱりそういうことだったのだ。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)