□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年11月2日発行第172号 ■ =============================================================== 権力者を追及できないことを認めたメディア =============================================================== 大阪地検特捜部の暴走を止められなかった原因の一つにメディアの権力 批判の弱さがある。 そのことをメディアの顧客である視聴者や読者が指摘する事は今では 当たり前になっている。 ところがメディアの担い手である現役記者が自社の紙面でそれを認めた。 これは注目すべきである。 10月28日の毎日新聞「記者の目」において大阪社会部の和泉かよ子と いう記者がこう書いていた。 検察と密接に接触しながらチェックが不十分だったメディアの姿勢も、 ゆがんだ(検察の)体質を助長したと自戒している、と。 検察の情報を重視するあまり、検察という権力を監視するという視点が希薄 になっていた。(私も)日々情報を得るのに必死で、(どこか不自然さを感じ ていたが)特捜部の捜査のチェックをするどころではなかった、と。 そして、その後に、和泉かよ子記者は、問題の核心に言及する。 検察が望まない記事を書くと、庁舎への「出入り禁止」を言い渡され、逮捕 や起訴の際の会見にも出席できなかった、(記事が怒りを買うものであれば、 それまで各社に提供されてきた公判の陳述や論告などの文書が)一切提供され なかったこともある、と。 権力機関として国民への説明責任を持つはずの検察として、そして国民の知る 権利に応えるべき報道機関として、(このような検察とメディアの関係は) 異常なことだが、抗議したり批判的な記事を書いて検察と対立しても事態がよく なるとは考えられない。検察はメディアに対して圧倒的な優位性を確保し、 批判を封じ込めてきた。事件報道で検察からの情報に依存せざるを得ない メディアは、検察の戦略にのせられてきた、と。 ここまで率直にメディアのジレンマを語る和泉記者の勇気を認め、それを 掲載する毎日新聞を評価したい。 しかし、である。 私はこの記事を読んで残念に思う。これはメディアの敗北宣言であり自己 弁護だ。どこかうそ臭さをこの記事に感じざるを得ない。 権力者の不正を本気で追及するには権力者からの情報提供に頼ることなく 独力で情報をつかむ努力をする事は当然ではないのか。 権力者の不正を暴くこと自体、権力者との関係を悪化させる事を覚悟する ことではないのか。 横並びの御用記事を書くことで満足する態度は、特オチさえしなければ そこそこ出世できるという保身であり、出世主義のなせる結果ではないのか。 その程度の記事を書くことで高給を貰うことのできる恵まれた状況にある ことを自ら認めているのではないか。 特権階級のぬるま湯に慣らされたエリート記者にはフリーランス記者のよう な必死の取材が出来なくなってしまったということだ。 和泉かよ子記者はその記事の最後に「メディアのあり方も、試行錯誤を重ね、 あらたな局面を切り開いていかなければならないと感じている」と書いている。 しかしその具体的な解決策を提示できないままである。 今のメディアはそのような悠長な事を言っておられる状況ではない。 もはや良質の記事を書かなければ視聴者や読者は離れていく。 保身や出世どころかメディアそのものが淘汰されていく。 他のすべての業界と同じように、必死になって仕事をしなければ生き残れない ということだ。 その危機感こそがメディアを鍛える事になる。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)