□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年10月24日発行第162号 ■ =============================================================== 検察・司法改革に必要なのはこの国にはびこるエリート志向の意識改革 である =============================================================== いささかしつこいようであるがもう一度だけ検察・司法の問題について 書いておく。 これでこのテーマについて書く事はとりあえず終わりにするのでおつきあい 願いたい。 今度の事件をきっかけに検察制度の抜本改革が叫ばれるようになった。 果たして真の改革が行なわれるのだろうか。 残念ながら私は期待していない。 なぜならば真の検察・司法改革の実現は、この国の国民の間に浸透している エリート志向主義を打破しなければ難しいと思うからだ。 学歴主義、ブランド志向、受験競争などの言葉に象徴されるエリート主義は いまや批判されるようになった。 しかしそれはまたこの国の国民が選んだものでもあるのだ。そんな国民の意識 を変える事は容易ではない。 10月24日の東京新聞は「暴走の源流 裁かれる権力犯罪」の連載③に おいて、裁判官と検察の蜜月について書いていた。 その中で次のような裁判官の言葉が紹介されていた。 「担当したのは特捜の検事さんでしょ」 これはある事件で起訴された被告の弁護人が、いくら被告人の無罪を訴え ても、特捜検事が書いた調書であるから間違いがないといって相手にされ なかった。その時の裁判官の言葉であるという。 特捜検事に限らない。裁判官と検察官は同じ司法官僚としてのエリート 意識でつながっている。被疑者よりも検察官を信じるのだ。 このようなケースは日本のいたるところで見られる。 かつてイラク戦争を支持する言説を東大の政治学者が唱えた時、外務官僚 OBは、「昔は東大の学者がそういえばそれで決まりだった」と嘆いた。 すなわち当時世論ではイラク戦争反対の意見がおさまらず、日本政府の 外交に対する批判が続いていた。その事に対する外務省OBの苛立ちなのだ。 このエリート偏重主義は、今や形を変えてどんどんと世の中に蔓延している ような気がする。 メディアでもてはやされる識者の意見がどんなにおかしいものであっても、 人々はそれを傾聴する。 まるでブランド物のようだ。 それを持たないと他者と見劣りするかのごとく思ってしまう。 流行り者の言説に異を唱えると相手にされないのではないかとおそれて 追従する。 我々はもっと自分に自信を持たなければいけないのではないか。 少数意見であることを恐れてはいけないのではないか。 もっと自由に自分の思いのままを表現すればいいのではないか。 はじめは少数意見でも、それが正しければやがて多数意見になるのだ。 かつてテリー伊藤というタレントが「お笑い大蔵省極秘情報」という本を 出したことがあった。 その中で、若い大蔵官僚がクラブの若い女の子に向かって俺が誰だか 知っているか、大蔵省のキャリア官僚だぞ、と言ったら、その女の子は、 何、それ。私には関係ないわ、と言って一蹴したというエピソードが おもしろおかしく書かれていた。 今の日本に必要なのは、まさしくこの女の子の意識ではないのか。 政治家、官僚はもとより、著名な学者、専門家、ジャーナリスの誰一人 として今の日本が直面している問題の解決策を見出せないでいる。 それどころか間違った事を言っても責任を問われないでいる。失脚する ことなく高給をもらい続けて恬として恥じない。 おかしくはないか。 この日本には無印の優良な意見や人材はあまた存在するはずである。 メディアはそれらを発掘して活用すべきだ。 ではないのか。 しかしメディアは動かない。メディアもまたこの国のブランド志向主義に 加担しているのだ。 問題の根は意外と深い。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)