□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン 2010年9月19日発行 第102号 ■ =============================================================== 東大至上主義から抜けきれない国民と日本の政治状況 ================================================================ 厚生労働省の村木厚子元局長に大阪地裁が無罪判決を下したのは9月10日 であった。 あの時、つまり無罪判決が出た時の報道を見て、私はある思いを抱いた。 一つは検察側の非があれほど明らかになったにもかかわらず検察幹部 の責任追及を叫ぶ声がメディアで広がらなかった事だ。 もう一つは、あれほどひどい仕打ちをされた村木元局長の対応がやけに 穏やかだった事だ。 たしか、「それでも検察を信じていますからこのような間違いが起こら ないようにしてもらいたい」、というようなものだったと記憶している。 その姿は、検察の傲慢さと対照的に感動的だった。 しかし自分が同じ境遇に置かれたのならあれほどの平静を保てただろうか。 「許さない。関係者を処罰しろ」とわめき散らすだろう。やつらは自分と同じ 官僚だからだ。 言われる前に言っておくが、そう思う私も官僚の塊であった。その意識は今 でも抜けきらないらしい。 ここからは私の官僚の体験から述べる私見である。 官僚の世界には東大法学部を出て国家公務員試験を一番で合格したものが 偉いという不文律がある。 さすがに今ではその他の偏差値の高い大学出も官僚に多く見られるが、 それでも東大卒はそのヒエラルキーの頂点だ。だれもが一目置く。 そして優秀な成績で国家公務員試験を合格した者から順番に大蔵省や通産省、 旧内務省などのいわゆる一流省庁に採用されていく。 それは受身で採用されるのではなく、優秀な成績で合格した者たちは積極的に 一流官庁を目指すのだ。 なかには出世を確実にしたいばかりに、優秀な成績で合格してわざわざ三流 官庁を選ぶ者もいる。 どちらにしても救いがたいエリート志向の連中だ。 検察や裁判官といった司法官僚は司法試験という難関を突破して採用される から、同じく一流官僚だ。 かつての外交官試験を経て官僚になる外務省もその一つに加えていいだろう。 要するにこの国の官僚の世界では序列があるのだ。 そして、それを許しているのはこの国の国民の間にある学歴崇拝主義、 エリート崇拝主義である。 村木局長は厚生労働省という三流官庁の局長であり、高知大学出身だという。 彼女がもし東大法学部卒の財務官僚や外務官僚であったなら、ここまでの 仕打ちを受けただろうか。 彼女が東大法学部を出て司法試験に合格したエリート官僚であったなら、 同僚たちにここまでひどい仕打ちを受けて、なお冷静になれただろうか。 自尊心を傷つけられて怒り狂ったに違いない。 この国は度し難い学歴偏重社会だ。エリート主義を偏重する社会だ。 それを許し、いや望んでいるのは国民なのだ。だからこそ受験結果を報じる 週刊誌が売れ、受験学校が廃れないのだ。 なぜ私がこんな事を書くかと言えば、発売中の週刊ポスト10月1日号に 仙谷由人官房長官の次のようなエピソードを見つけたからだ。 仙谷官房長官は菅首相を「弁理士総理」と呼んでいるらしい。 東大卒で弁護士である仙谷氏はかつて弁理士をしていた菅首相より下の地位 に甘んじる事はプライドが許さないのだ。 そういえば仙谷氏が小沢一郎を見下す理由の一つに、東大も司法試験も合格 できなかった小沢の下で、東大も司法試験も合格した俺が甘んじられるか、と いうのがあると、既に色々なところで報じられている。 おそらくメディアも財界も、その他の世界も、東大的なるブランド志向と エリート主義でつながっているに違いない。 その仲間意識がこの国の社会を二分化しているのだ。 仙谷官房長官が公務員改革に腰砕けになり、今や官僚に受けがいいのは合点が 行く。 「官僚は大馬鹿だ」と叫んでいたかつての菅さんが、仙谷官房長官に操ら れて妙に物分りがよくなったのも頷ける。 官僚支配のこの国の政治を変えるには、学閥偏重、エリート主義が好きな この国の国民の意識を変えなくてはいけない。 私はそう確信している。 了
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