□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン 2010年8月25日発行 第66号 ■ =============================================================== 国民に嘘をついていた日米核密約調査有識者委員会 ================================================================ あれほど大騒ぎをした日米核密約問題については、もはやすっかり国民の頭 から忘れ去られているに違いない。 しかし核密約の本当の究明はまだ終わっていない。 それは秘密文書の一部が紛失していたため調査結果が不十分だったという事 ではない。 誰がどのような意図で機密文書の一部を隠滅したか、その責任追及がうやむや にされたからではない。 あれほど時間をかけて作成された有識者委員会の調査結果そのものが嘘だった からだ。 嘘であった以上、もう一度最初から調査し直さなければならないからだ。 発売中の月刊「世界」9月号の中で、太田昌克共同通信社編集委員の手に なる「核密約 日本側は密約を認識していたー政府調査覆す新証拠」と題する 検証記事が掲載されている。 その内容は衝撃的だ。 ここでそれを詳しく紹介する余裕は無い。しかし原文を読むまでもない。次の 一点こそ、そのすべてである。 思い出してほしい。 数ある日米密約の中のもっとも深刻な密約は、核持込を日本政府は国民に 隠して認めていたかどうか、その密約の有無であった。 そしてこの点についての有識者委員会の報告は、日米間の明確な合意、 すなわち「狭義の合意」はなかったが、米国は核艦船の寄港は事前協議の対象外 と考えていたが、日本側はそうした米側の解釈の明確化をあえて追及せず、 日米間に解釈のずれを残す事によって「暗黙の合意」、つまり「広義の密約」 をしていた、というふざけた結論だった。 ところがその後黒崎輝福島大学准教授によって米側のあらたな秘密文書が 見つかったというのだ。 それによると日本政府は米核艦船の寄港を知っていながらあえて事前協議と しないことを認めていた、つまり密約を明確に認識していた事が明らかになった、 というのだ。 実はこの事は、すでに6月26日付の毎日新聞で小さく報道されていた。 岸首相と藤山外相は核密約を認識していたという文書が福島大学の黒崎輝 准教授によって米国立公文書館で発見されたというのだ。 それを読んだ私は驚いたが、その記事だけでは意味がわからなかった。だから そのままやり過ごしてしまった。 このニュースはその後一切報じられることはなかった。従って国民も誰も気づ かなかったに違いない。 ところが世界9月号の太田昌克氏の記事がそれを見事に解説してくれたのだ。 その文書とは在日米大使館のアール・リッチー一等書記官が国務省の日本 担当官ロバート・フィアリー氏に送った1963年3月15日付の秘密書簡で あるという。 その中で、(日米安保改定)条約交渉の時点で、米側が核搭載艦船や軍用機を 事前協議の対象としないことにつき岸と藤山が明確に理解していたという記述が あるというのだ。 「狭義の密約」はなかったが「広義の密約」はあった、などという詭弁は もはや通用しない。「狭義の密約」そのものだったのだ。 それにしても有識者委員会の委員であった学者やジャーナリストたちは国民に 合わせる顔があるのだろうか。 あれだけ時間をかけて真実を見つけ出せなかったのなら、その非を詫びてこの 新たな文書に基づいて再調査すべきではないのか。 もし知っていながら詭弁を弄したとすれば、それが国民を欺いたということ ではないのか。 そんないかさま集団を率いた座長の北岡伸一東大教授の責任は万死に値する。 その北岡伸一教授は国家戦略局の重鎮として菅民主党政権の対米外交、日米 同盟政策のアドバイザーとなった。 これでは菅民主党政権はだめだ。 岡田外相は外相失格だ。 日米同盟関係の不健全性はあまりにも深刻である。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)