… … …(記事全文2,227文字)大正天皇の御生涯は、病気との闘いの連続だったとも言えます。御誕生後、間もなく髄膜炎にかかり、その後も百日咳、腸チフス、胸膜炎などに次々に罹患。
ご病気の間は当然、治療を優先しますから、その間は学習も遅れがちになってします。
学習の後れを取り戻そうと、東宮職員らが詰め込み式の帝王教育を急いだことも、大正天皇の心身に多大な負担を強いたとされています。
貞明皇后とご結婚してからは急速に健康を回復され、指南役である有栖川宮威仁親王殿下とともに、沖縄県を除く全国を行啓し、ふらっと蕎麦屋に立ち寄られたり、一般旅客の普通列車に乗り込まれたりされたそうで、子煩悩で家庭的な御方であられたらしいです。
※裕仁親王の手を引かれる皇太子時代の大正天皇 明治37年 左は雍仁親王と侍従
一度はご快復なられたご病気ですが、ご即位後の大正3年、陛下35歳の頃に始まり、
大正7年末には顕著になったと考えられています。
大正天皇の御病気は原発性進行性失語症や脳基底核症候群であったと考えられています。
幼少から御病弱であらせられた大正帝にまつわる噂話は数多いのですが、世間に一番流布しているのは「遠眼鏡事件」で、「大正天皇が進行した脳病により帝国議会の開院式で詔勅を読んだ後、大正天皇はその勅書をくるくると丸め、遠めがねにして議員席を見渡した」という類の話は国民にまことしやかに語られ、信じてやまない人もいるのが残念なことです。
この風評について、実際に側近だった人の証言が残されています。