… … …(記事全文3,288文字)「有事」という言葉が暴走するとき
―― 作話と誹謗中傷が集団化する恐怖
「平時の移動は、もっと身体的負担の少ない方法を検討できないだろうか」
この問いかけは、本来、現場の安全や健康を考えるためのものだった。訓練地と駐屯地の移動において、シートも安全装置もないトラックの荷台で人員を輸送することが、果たして最適なのか。隊員の間では、腰痛や神経痛、身体の不調を訴える声も少なくない。
だが、この問題提起は、いつの間にか全く別の文脈へとすり替えられていった。
平時の話が、なぜ「戦場」の話になるのか
「戦場ではそんな快適な移動はできない」「常に有事を想定して慣れておくべきだ」
SNS上では、このような反応が相次いだ。しかし、ここには大きな飛躍がある。平時の移動手段の安全性を問う話と、有事における戦術判断は、本来まったく別のモードの話だ。
平時の訓練や移動で身体を消耗させることが、有事への備えになるのか。この問いに対し、「常に戦場にいる前提で生活すべきだ」という極端な考え方が持ち出されたことで、議論は急速に歪み始めた。
【文脈の切断と「作話」の始まり】
問題はここからだった。「平時まで戦場の想定で行動する必要はない」という反論の中で使われた表現が、文脈を切り離された形で引用され、まったく別の意味に加工された。
本来は「平時まで常に有事を演じる必要はない」という趣旨だった言葉が、「陸上自衛隊は“有事ごっこ”をしている組織とおもわれていたんや」という虚偽の主張へとすり替えられた。

