… … …(記事全文4,026文字)江戸の遊郭と遊女~文化発祥地としての遊郭とヨーロッパには無い寛容性の証~
前回の歴史ネタでは『銭湯』について書いた。その際に、銭湯にいた『湯女』は、吉原に送られたと書いたときに、遊郭についても書きたいと考えていた。『遊郭』といえば、貧しい家の子が売られた場所というイメージが強い。確かにほとんどの遊女は、貧しさゆえに売られた者だったが、そんな状況の中でも、彼女たちはたくましく生きていた。
今回は、そんな話をしたい。吉原の遊女は、当時、最先端の着物を着ており、髪形においてもファッションリーダー的な存在だった。太夫・格子の着物や髪形は、翌年には全国で流行するほどで、彼女たちが着た着物の柄は「吉原染」と呼ばれて超高級品だった。
「吉原染を見たことがない男は、死んでも死にきれない」
とまで言われていた。
それほど、表向きは華やかな場所だった。
遊女には階級があり、階級名は時代によって変わったが、太夫・格子が、全遊女の中で1~2%だけがなることができるトップランクだった。
そんな太夫・格子の年収は破格で、現代の価値で年収数千万円以上もあった。
『部屋持』以上が、上級の遊女
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20250331-OYT8T50125/
そんな彼女たちは、商魂たくましく生きていた。
櫛(クシ)で抜けた花魁の髪の毛を小瓶に詰めて「恋の御守り」として、1瓶5000円くらいで販売したり、爪を削った粉を和紙に包んで「この粉を枕の下に入れると好きな人が夢に出る」と販売したりした。
さらに、太夫が入った後の風呂の湯を小瓶に詰めて「縁起物」として販売したり、太夫が噛んだ梅干しの種を「子宝のお守り」として販売した。
遊女たちは何を思って販売していたことか。
このような事例は限りなくあり、これらを数十万円から数百万円で販売していたのだから驚きだが、まだカワイイ話の部類だ。★まだまだ面白い話は続く!
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