… … …(記事全文4,889文字)この連載の4回目で、医学部の受験偏差値がいかに高いかを概説した。有力な国立大学や私立伝統校の医学部に合格するには、東大理1、理2と同等か、それを凌ぐほどの高偏差値でなくてはならない。かつて「お金を積めば入れる」と揶揄された私立新設校の医学部でも、現在は早稲田や慶應の理工系学部に合格できる学力が必要なほど難しくなった。
有力大学の法学部を出て官僚か弁護士になるという昔日の黄金ルートの輝きはすっかり色褪せた。また医学部以外の理工系学部に進んだとしても、研究者として安定したポストを得られるとは限らない。大企業に就職すれば安定した収入が保障されるが、出世を果たせるまでは組織での忍従を強いられる。つまり、異常に偏差値が高騰した現在の医学部人気は、かならずしも積極的な理由ばかりでなく、消去法での選択の裏返しでもあるのだ。
この異常な医学部人気のために、他分野で活躍すべき英才たちの多くが、医療分野に取られてしまった。2025年の現在、世界経済の覇権を握っているのは、デジタルプラットフォームやデジタルコンテンツを握っている米国企業だ。そうした分野の日本企業に、日本の優秀な人材がどれだけ入っているだろうか。医薬品も画期的な技術革新があれば外需を狙える可能性はある。だが、基本的に「ギャンブル産業」であり、永続的に利益をもたらしてくれる保証はない。つまり、国策として強化すべき「成長産業」に位置付ける意義は乏しい。
バブル崩壊以降、日本国民が貧乏になったのは外貨を稼げなくなり、国民所得が伸びていないからだ。それなのに社会保障の負担率ばかりが上がり、可処分所得を圧迫している。さらに輪をかけて、国際競争力の低下で世界的な物価の上昇についていけず、国民の購買力はますます弱くなった。我々日本国民が貧乏になったのは、「内需拡大」という言葉に踊らされて外貨を稼ぐ力を弱めてしまった一方で、社会保障の負担ばかりを増やしてしまったからなのだ。
なぜ社会保障の負担率が増えたのか。その背景には医療を「聖域」とみなして、国民医療費の無軌道な膨張を許してきことがある。医療の聖域化が非常に根強いものであるのは、この5年のコロナ騒ぎを見ていれば明らかだ。パンデミック発生当初、我々は未知のウイルスである新型コロナと闘う医療者への感謝を求められ、社会的政治的に医療者を批判しにくい空気が醸成された。そして、罹患者を救うと同時に感染を抑止するという名目の下、医療に湯水のごとく国費が投入された。
コロナ対策に投じられた総額は、2020~22年の3年間だけで100兆円を超えている。そのうちのかなりの部分が医療に流れた。22年には使途不明となったコロナ予算、「消えた11兆円」も問題になった。だが、そんなにもの巨額な国富を投じたことが妥当であり、それに見合う効果があったのか、いまだにまともな検証はされていない。一番に政治家たちの怠慢を責めるべきだが、その理由の一つとして医療の聖域化も大きい。「人の命を守る」という建前の下、疑問をさしはさむことすら憚られる空気が作られてしまったのだ。
そうして国富がつぎ込まれてきた結果、それまで赤字経営だった医療機関の多くが多額のコロナ補助金によって潤い、黒字経営に転換した。一方で、営業自粛を強いられた飲食店、小売店、観光業、エンタメ業、製造業等々が大打撃を受け、日本経済は確実に悪化した。2020年のGDP(国内総生産)は前年比マイナス4.8%と、リーマンショックの影響によって5.7%減少した09年に次ぐ過去2番目の下げ幅となった。翌21年はその反動で2.7%とプラスに転じたものの、22年は0.94%、23年は1.49%、24年は0.08%と低空飛行が続いている。
その間、世界の経済成長率は2020年こそマイナス3.3%と落ち込んだが、21年は前年比6.0%と大幅に回復、22年は3.4%、23年は2.7%、そして24年は3.2%になると見込まれている。上段の数字と比較してもらえれば分かるとおり、我が国は世界の経済成長にまったく追いついていない。2024年の世界経済成長率ランキングを見ると、日本は190ヵ国中、なんと172位だ。この30年間で、日本経済はどんどん縮小していったが、コロナ後も「回復した」とはお世辞にも言えない状況なのだ。
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