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小川榮太郎「批評家の手帖から」

小川榮太郎(文藝評論家)

小川榮太郎

美と感動の国・日本 14 最終回「私は志ある全日本人に訴えたい。まず、濫読せよ、すべてはそこからである、と」
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ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00276/20230803090406112262 //////////////////////////////////////////////////////////////// 小川榮太郎「批評家の手帖から」 https://foomii.com/00276 ////////////////////////////////////////////////////////////////  今回は最終回。  駆け足で、日本の歴史の多様性と深い一貫性を辿る試み、いかがでしたでしょうか。  ここまでお読みくださった皆様には、日本の学びをぜひこの後も続けていただけければと切望しています。  拙著にはまだここに語った内容を纏めた本はありません。  少し難しい理論書となりますが『保守主義者宣言』という近著で、私の思想的な立場を語っています。いずれこの著書についての解説動画などは展開したいと思っていますが、第一部だけでもじっくりお付き合いいただければ、「美と感動の国だった日本」が、どうして今、低迷と混乱と醜悪を極めてしまったのかの経緯が分ります。  ただしこの本では、では私たちはこの低迷と混乱と醜悪から、どう脱却すべきかについてはまだ語られていません。  国の作り直しということについて、私には大きな構想があります。  しかし政策をどういじろうと、日本が己を取り戻す精神的な作業抜きには、日本の存続はもはやこんなでしょう。  日本が戦後80年近くの間に失ったのは、日本人としてのありようです。  巨大な雪崩のようなもので、現象としての現代日本だけを見ていれば絶望しかない。 聖徳太子、天智天皇、天武天皇、柿本人麻呂、鳥仏師、空海、最澄から昭和人までそ壮大な人材大国だった日本。    そのすそ野の広さ、深さを思ってみていただきたい。  歴代天皇、政治家、武将、宗教家、文学、美術、学術の天才ら歴史の表舞台に立つ錚々たる役者を輩出したのは庶民の民度、津々浦々まで広がる教育と道徳の水準の高さだったに違いない。  この漲りわたる日本人の人間力の伝承は戦後イデオロギーと戦後教育でずたずたにされてしまった。  人間は魂や知性の栄養分をしっかり取らねばどんな素質があっても可能性を実現できません。  ごく単純な話をいつもするのですが、ホモサピエンスとして生れ落ちても、言語を教えなければ、我々は生きてゆけない。言語抜きに食べ物だけあてがわれたら最も生存能力の低い動物がそこに残るだけでしょう。  では教わる言葉が片言だけだったらどうか。    片言の範囲内の人間にしかなりません。  戦後教育とは、まさに片言教育に他なりません。ほんの一例だけ挙げれば文学史で古典の名前と概要だけ暗記させますね。萬葉集の有名歌人や古今和歌集の成立年、「仮名序」の著者、平家物語が和漢駢儷文だなどという事を覚えたって、そりゃあ片言というしかないでしょう。また粗筋を要領よく教えてくれる予備校の先生や本がありますが、それも違います。読むという行為は愛の交わりに等しい。インスタントに済ませたら魂の栄養になどなりません。  古典を愛読している教師から、古典のうまみ成分をたっぷり教わって、自分でなんとか読み通してみようとすること、何もそれが萬葉集や源氏でなくてもいい、ゲーテやプルーストに飛ぶかもしれず、川端康成や三島由紀夫かもしれない。論語に飛び、そこから福沢諭吉、渋沢栄一に説き及ぶかもしれない。愛読するとはどういうことかが分れば、若い魂は奮い立つ。面白くて面白くて仕方なくなる。  人間が立派になる契機となる栄養分をとことん教えなかった。  その栄養分は我々日本の先人の生き方、先人の残した事績や言葉、先人の残した作品の中にぎっしり詰まっています。また父親、母親、祖父母、曾祖父母と伝えられてきた習俗、生活、習俗の中に深い智慧の水脈となって流れていました。    戦後から令和に至る教育は日本文化を否定し、先祖から伝わる習俗を軽蔑し、人々に捨てさせて始まった。  よく石原慎太郎さんが歴史家アーノルド・トインビーの「神話を喪った民族は三代で滅びる」という言葉を引用して憂国の念を吐露されていましたが、私は日本の場合「神話」と特定する必要はなく民族の歴史や習俗の否定という意味に置き換えるべきだと考えます。  現代の日本人は敬愛する歴史上の人物を殆ど持たない。敬愛という言葉の意味が分からない。たまに吉田松陰を尊敬しているというような人がいても、松陰の著作も伝記もほとんど読んでいない。  松陰を真に敬愛するとは松陰の作品や伝記を濫読することにほかなりません。 日本人の魂は聖徳太子の三教義疏という仏典の講話以来、昭和まで、この濫読、濫読の末に至る精読によって形成されてきた。  何よりも、私は志ある全日本人に訴えたい。  まず、濫読せよ、すべてはそこからである、と。  私たちは、日本人であることを取り戻すささやかな一人一人の心の中での恢復に取り組もうではないか。  それはさざ波にさえならない目に見えないものかもしれない。  しかし、私たち一人一人に内在する日本人に意識してアクセスすること、それは、最も強力な生きる基盤となるはずです。  今、自分を見失い、生きる動機、喜びが見いだせない人たちが無数にいる。  なぜだろう。  原因は千差万別でしょうが、それでも根っことなる主たる原因はあるはずでしょう。  それは一言で言えば戦後イデオロギーの人間観、社会観であると私は断定したい。  先祖を疎かにし、歴史を学ばず、自分の人生だけを考えさせる、過去を尊重しない未来志向ばかりが教え込まれる。  そんな風に縦軸のない人生には基準がない。松陰先生ならこういう時にどうしただろう? 渋沢栄一ならこういう時にどうするだろう? という偉大な先人の心に尋ねるということがない人生。  そこにある基準は、現代社会における「競争」に勝って「勝ち組」になるか、そうした「競争」を放棄して「無理しない生き方」なる消極主義を選択することだけになりがちです。  個人主義、自己主張、自我の満足――人生の目標がすべて自己に向けられたとき、他者は原則として妨害者として現れるほかはありません。妨害者か自分の利益になる人間か――結局功利的な人間観をベースに人生を構築することになる。  競争と対立、不信と索漠、陰謀や蹴落としだらけの人生がそこには待っている。  その上、なんと多くの人々が、人権がイデオロギーとして強制され、ハラスメントの加害者になることにいつもびくびくし、本当に言いたいことを全く言えないで生きていることか。  私のように相当激しく言うべきと信じたことを放言する人間でも、かなりの配慮をして発言をしている。小林秀雄はおろか、石原慎太郎さんや西部邁さんら親交のあった大先輩らに較べ、私などよほど放言のレベルを調整してこれでも発言している。  ハラスメントという言葉で人々の心を縛りながら、内実、人間への不信と社会への憤懣を皆、内心に鬱積させている。  イデオロギーの抑圧と競争と不信の瀰漫する社会……。  なるほど社会というものは無論、古今東西、確かに戦いの場ではありました。  しかし、人はではどこに居場所を求めるのか。  家族であり、親族であり、近隣、地元の付き合いであり、共に学んだ友人であり、師であり、仕事で長年苦楽を共にした同僚であり、日本では古来盛んだった様々な芸事のお稽古場だったでしょう。芸事と言えば、連歌俳諧から、お能、謡、詩吟、武道、茶道、華道からあらゆる嗜みことが階層の差を越えて日本では実に盛んでした。  日本は言霊のさきはふ國である。  それは同時に共同体のさきはふ國であり、友の輪のさきはふ國であるということだった。  今、家族はどこに行き、親族、地域共同体はどこに行ったのか。  様々な共同体の成員であることを兼ねることで、人は心のよりどころを多様化し、そうした対人関係の豊かさが個性の確かさを作る。  そういう対人関係を否定したり壊したりということばかりが続き、今、若者の多くが、ゲームに膨大な時間を費やしている。人間に疲れ、犬猫やロボットと一緒に暮らすようになりつつある。  人との付き合いは共通の言葉、共通の価値観がなければ疲れます。  その上、競争と対立、裏切りが日常的になれば、人付き合いの喜びなど消えてしまうでしょう。  しかし共同体が消えた時、強く豊かな個性も消える。  共同体が消えた時、言霊のさきはふ國も消える。  皆が、小さく閉ざされて世界へと自閉してゆく。対立か孤独か。  私たちは歴史を喪い、共同体を喪う80年の戦後に洗脳されてきた。  なんという不幸な人間観を私たちは選んでしまったことか。  私たちは日本人という一家でした。  共同体のさきはふ國でした。  人いきれの中で、人は己を確立し、その確立された己の個性を満喫し、発揮し、そうした個性の力で、世の為人の為に尽くす――という人間観を私たちの先人は広く共有していました。  そういう人間観を先人たちは歴史や物語、芝居、共同体の語り伝えから学んできた。  日本の先人の生き方に触れた時、そこにはなんと多くの自由、何と多くの奉仕と献身、なんと多くの甲斐ある人生、意義ある死の数々に私たちは出逢うことか。  なんでもありなのか――そう思う程、あらゆる生き方がある。  そうした人間的自由を許す日本の風土と、それにもかかわらず、五か条の御誓文の一節をお借りすれば「上下心を一にして」暮しの平和と人々の幸せを大切にする国民的気風も育まれてきました。  こうした具体的な日本人の姿に触れることほど、生きる力と勇気の糧になることは他にありません。  最初の方で、「まず濫読せよ」と申し上げた所以です。  そのために拙著『保守主義者宣言』の巻末に日本人としての必読書一覧を掲げてあります。  かなり大量な本を扱っていますので、まずは太字で示した50冊ほどを優先してお読みいただければと思います。  この太字だけでもこの連載で片鱗をご紹介した「美と感動の国・日本」の限りない豊かさと愉しさを感じていただけるのではないでしょうか。  私自身も、この連載の続きをなにか書いてみたいという思いはあります。どのように準備できるかはまだ分りませんが。  日本の先人の生き方を列伝風に自由に描いてゆくことを考えたいと思う一方、古代から昭和まであまりに人間の宝庫でありすぎ、どうお伝えするのがいいのだろうと途方に暮れるほどでもあります……。  ともあれ、『美と感動の国・日本』はこれでおしまい。    連載にお付き合いくださった皆様、有難うございました。 //////////////////////////////////////////////////////////////// 本ウェブマガジンに対するご意見、ご感想は、このメールアドレス宛に返信をお願いいたします。 //////////////////////////////////////////////////////////////// 配信記事は、マイページから閲覧、再送することができます。ご活用ください。 マイページ:https://foomii.com/mypage/ //////////////////////////////////////////////////////////////// 【ディスクレーマー】 本内容は法律上の著作物であり、各国の著作権法その他の法律によって保護されています。 本著作物を無断で使用すること(複写、複製、転載、再販売など)は法律上禁じられており、刑事上・民事上の責任を負うことになります。 本著作物の内容は、著作者自身によって、書籍、論文等に再利用される可能性があります。 本コンテンツの転載を発見した場合には、下記通報窓口までご連絡をお願いします。 お問い合わせ先:support@foomii.co.jp //////////////////////////////////////////////////////////////// ■ ウェブマガジンの購読や課金に関するお問い合わせはこちら   support@foomii.co.jp ■ 配信停止はこちらから:https://foomii.com/mypage/ ////////////////////////////////////////////////////////////////

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