ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00276/20230711085649111330 //////////////////////////////////////////////////////////////// 小川榮太郎「批評家の手帖から」 https://foomii.com/00276 //////////////////////////////////////////////////////////////// そうした学問、人間修行、教養や道の文化の巨大な蓄積を幕末維新の日本人は一気に全部を生かした。 日本人の強みを生かしました。 明治維新というのは江戸時代の日本人が成し遂げたのです。 それがなぜ可能だったのかと言えば、江戸日本が文化と教育の大国だったからです。 人材大国だったからです。 人間力大国だったからです。 今はどうですか。もう目も当てられないですよ。文化と教育の大国でなければ国は急速に弱りゆきます。 国益とか国力という言葉がしばしば使われます。 科学技術、軍事力、生産力、金融・株価などがその指標として用いられます。 しかし、肝心なのは人間力でしかない。 私たちは科学技術や生産性、金融の奴隷ではない。 それらは、私たち一人一人の国民の生を安んじ、豊かにするための手段に過ぎません。 ところで、安心して生きられる豊かな人生とはなにか。 その国の核兵器の数でも、自分の預金残高でも、 AIによってすべての手間の省かれた暇だらけの人生でもないでしょう。 生き甲斐であり、自己成長であり、成し遂げるべき目標と、その過程の手応えのバランスではないのか。 私たちは、ある国に生れ、母国語を通じて、動物から人となります。 動物としての生き甲斐は本能の充足にしかないでしょうが、私たち人間の生き甲斐の中核は、生きる意味であり、生きる意味の実感です。 良い国とは、自国に生れ育つ人々に、そうした生きる意味を与える国であり、人生に耐え、それを喜びに変える事のできる強い人間力を吹き込める国である。そうした人間力の源は、歴史、教育、文化による感化であって、それこそが真の国力と言うべきでしょう。 高水準のGDPや軍事力を次世代に手渡す――それらはすべて便宜であり手段に過ぎない。 江戸日本は、幕府が武器の開発を厳重に禁じて非軍事状態を指向し、米を軸にした経済に最後まで固執しました。軍事小国である上、貧しかった。 数世紀にわたる植民地収奪に加え、急速に近代化が進み始めていた19世紀半ばの欧米からすれば、江戸時代の日本のGDPや軍事力など吹けば飛ぶようなものだった。 しかし日本は吹き飛びませんでした。 真の国力があったからです。 真の人間力を育む国だったからです。 今の日本は高水準のGDPは維持しているかもしれない。 しかし、腐っている。 私は毎日、この国の腐臭と沈滞に鼻も脳もひん曲がりそうな思いでいっぱいだ。 歴史、文学による日本人としての人間力の涵養を70年以上怠り続ければ、そうなるに決まっている。 振り返ってみましょう。 日清、日露戦争の勝利までは、その指導者は江戸時代に教育を受けた人達なのですから、明治国家とは江戸日本人の遺産です。 それに対して、明治国家が作り上げた国家エリートがしたのが大東亜戦争です。外交不在のまま戦争に突入し、敗北し、占領政策と共産党のオルグで、「日本」を喪ってしまった。 外交不在! 江戸時代人である岡倉天心、内村鑑三はアメリカで大きく認められ、その著述は英語でなされた。私たちが読んでいるのはその日本語訳です。しかもそれら英語で書かれた著述は今のペーパーバックでも現役なのです。彼らの次の世代、維新当初に生れた森鴎外、夏目漱石らはそれぞれドイツ、イギリスに留学し、語学は大変に堪能でしたが、自身の著述は日本語で書いている。その次の世代の谷崎潤一郎、志賀直哉になるともう語学は駄目です。勿論日本語による文藝の最高峰となるのだから、彼らはそれでいい。しかし、明治は開国前の江戸時代人に国際的な大文化人を輩出したのに、明治時代を通じて日本人はむしろ内向きで、国際社会から孤立していってしまう。 明治国家は技術や学問では超一流だったけれど、政治人材、国際人材を作るのは失敗しました。 もっとだめなのが、戦後の日本です。戦後の奇跡の復興は大日本帝国時代に教育を受けた人たちが成功させたものです。 大東亜戦争には敗れたが、戦後の復興を成し遂げるだけの人間力は充分に育てることができた。それが大日本帝国時代の教育であった。 では戦後教育はどうか。 GHQの占領政策は戦前までの日本への憎悪と軽蔑を洗脳し、東京大学―岩波書店―朝日新聞という知の中軸は、敗戦後のたった数年で共産党にオルグされて、戦後日本は始まります。 始まりがあまりにも悪かった。 日本の教育と文化は今に至るまでGHQに由来する日本への憎悪と軽蔑=反日と、共産主義の分派であるラディカルフェミニズム、近年の過激な人権思想など家族や国家などの共同体を破壊するイデオロギーに支配されてきました。 この戦後教育を受けた世代が日本のリーダーになるのが昭和末期から平成時代です。 バブル経済に狂喜し、国家も共同体も、文化も人間力も、何一つ顧みずに、利益と快楽のみを追求したのも戦後教育世代。 バブル崩壊後、なすすべもなく、改革の掛け声のもとで、日本の強みを全部ぶち壊しにしてしまったのも戦後教育世代。 私には今の日本は焼け野原にしか見えません。 文化や学術一つをとっても、昭和までとは段違いにレベルが下がり、もう同じ民族とは思えません。谷崎潤一郎、川端康成、小林秀雄、三島由紀夫と言った面々がついこの間まで存在していた日本。その他どれだけの文学者の名前を私は挙げることができることでしょうか。 では今の代表的な作家は誰なのですか。 高橋源一郎、島田雅彦、村上春樹、平野啓一郎、山田詠美……。 冗談でなければ、悪夢という他はありません。 政財官界も見る影もない。 昭和戦後の日本は、財界と自民党と霞が関が愛国心の強力な共同体でした。 ところが、まさに戦後世代である小沢一郎氏が主導した平成初期の政治改革で小選挙区と政党助成金という政治家を極端に弱体化する制度改悪で、日本の政治はほとんど自滅してしまいます。 財界も消えてしまう。昭和財界の一例として、岸田総理の属する宏池会の創始者池田勇人総理を支えた財界四天王をご紹介しておきましょう。 アラビア石油、全日空、日本開発銀行の小林中は財界総理とも言われた。他にフジ産経グループの礎を築いた水野成夫、鉄鋼の大合併で新日鉄を作った永野重雄、日清紡績の桜田武が財界四天王と呼ばれました。彼らが経済三団体を仕切り、吉田茂から後の日本の政界をさきほどちらりとお話した東大レジーム、つまり共産主義から守り抜いたのです。日本製鋼の今里広記という方なども財界官房長官と異名をとって私心なく国に尽くした。白洲次郎、鹿内信隆、五島昇なんて人達もそういう人脈に入ってきますね。 あるいはこれもほんの一例ですが、若い世代では石原慎太郎、浅利慶太などが文学者や演劇人として財界首脳と関係してくる。彼らと日本生命の弘世現が組んで、日生劇場を作った。国立の劇場などに頼らない。在野で戦後日本をリードしてゆく。 財界と文化界、政界、全部国士のネットワークがあった。 今はまったくのゼロ、ゼロ、ゼロだ。 では、そうした焼け野原にあって、私達は幕末維新に何を学ぶのか。 人間力こそが国力だという原点に戻るほかありませんね。 そして彼らの人間力を自分たちで身に付けるというのが、人間力の強化の基本です。 その意味で、歴史小説に親しむというのは最も手早い、人間の生き方を磨く手段と言ってよいでしょう。 論語を勉強する、古事記を勉強するというようなことはもとより素晴らしいのですが、こういう古典は橋渡しをする人自体に真の人間力がないとなかなか力になりにくい。 私はもとよりその任ではありませんが、要するにその人自体が圧倒的に輝いている巨大な存在であるような人を学ぶ方が、私は先なのだと思っています。 例えば山岡荘八の『吉田松陰』のようなものは歴史上の人物そのものに取材した最高の人間学のテキストだと思います。 もっとフィクションになっているけれど、吉川英治『宮本武蔵』、司馬遼太郎『竜馬がゆく』『燃えよ剣』なども、私は近代日本の生んだ永遠の青春文学だと思う。 これらが武蔵や竜馬の史実だと勘違いされると困りますが、かと言ってこうした文学の感化力をあなどるのはまったくの間違いです。我が国の近代史を形成する上で精神史的に大きな力のあったのは太平記と忠臣蔵ですが、どちらも大事なのは史実としての正確さではなく、人の心をわしづかみにする文学としての力でしょう。 海音寺潮五郎の『西郷と大久保』、子母澤寛の『勝海舟』もいい。 ……おや、今回は少し教育論、人間論に傾いてしまいましたね。 次は再び歴史に戻ります。 //////////////////////////////////////////////////////////////// 本ウェブマガジンに対するご意見、ご感想は、このメールアドレス宛に返信をお願いいたします。 //////////////////////////////////////////////////////////////// 配信記事は、マイページから閲覧、再送することができます。ご活用ください。 マイページ:https://foomii.com/mypage/ //////////////////////////////////////////////////////////////// 【ディスクレーマー】 本内容は法律上の著作物であり、各国の著作権法その他の法律によって保護されています。 本著作物を無断で使用すること(複写、複製、転載、再販売など)は法律上禁じられており、刑事上・民事上の責任を負うことになります。 本著作物の内容は、著作者自身によって、書籍、論文等に再利用される可能性があります。 本コンテンツの転載を発見した場合には、下記通報窓口までご連絡をお願いします。 お問い合わせ先:support@foomii.co.jp //////////////////////////////////////////////////////////////// ■ ウェブマガジンの購読や課金に関するお問い合わせはこちら support@foomii.co.jp ■ 配信停止はこちらから:https://foomii.com/mypage/ ////////////////////////////////////////////////////////////////
小川榮太郎「批評家の手帖から」
小川榮太郎(文藝評論家)