… … …(記事全文3,293文字)いまから四半世紀前、9.11の前の年だったが、国連大学の主催で文明間対話の会議が東京と京都で開催された。
そのとき、ひとりの老哲学者が「文明は対話などしない。対話するのは人間である」と言った。
国連などが当時、「文明間の対話」や「宗教間の対話」と言っていたが、そういう流行りものに飛びつくことを諫める一言であった。
たしかに、対話するのが人間であるのと同様に、社会に溝を掘り分断をつくりだすのも人間であって、宗教や文明が溝を掘るわけではない。
分断は、人種、民族、宗教、国家とすべて人造物を道具として、人間がつくりだした。
しかし、なぜ今になって宗教が、分断や溝の主役になったのかは、改めて考える必要がある。
人種について言えば、いずれの人種にも属さない人間は存在しない。
民族についても、いずれの民族にも属さない人間は存在しない。
しかし、宗教には、何の宗教にも属さない人間が存在する。
無宗教の人もいれば、積極的に神を否定する無神論の人もいる。
こうして、イスラムという宗教を信じる人の前には、二重の溝が掘られることになったのである。
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