… … …(記事全文5,660文字)●海外ミュージシャンの来日ブーム
1970年代中頃、海外のミュージシャン(外タレ)の来日ブームになる。コンサート会場は日本武道館、新宿厚生年金会館、渋谷公会堂、中野サンプラザホール等数えるほどしかなく、毎日のように海外ミュージシャンの公演が行われていた。
その頃、私は中野区野方に住んでおり、そこは中野サンプラザに歩いても行ける距離だった。そういうことで、中野サンプラザにはよく行った。収容人員は日本武道館より少ないが、音響は圧倒的に優れていた。弟が同居するようになってからは、兄弟で通った。多くのコンサートに行った中で印象に残っているのは、中野サンプラザでのジャクソン・ブラウン、何しろ最前席だった。今のように大きなモニターがあるわけではないので、ジャクソンの一挙手一投足が手に取るように見え感動した。
それから日本武道館でのイーグルスである。音が非常に小さいのだ。何かの間違いではないかと思ったほどだ。日本武道館ではある音量を超えると、とんでもない音の洪水になってしまうことは前稿で述べた。イーグルスのPAクルーはそれを事前に知っていて、ギリギリまで音量を抑えたのではないかと推測した。それでなくとも、一音一音を大切に聴かせ、ハーモニーを売り物にするバンドである。これは、PAのグッドジョブだったと感動した。
●世の中は「Made in USA」に沸く
1970年代は、音楽もファッションもカルチャーも全てがMade in USAであった。当然音楽は、アメリカンそれもLAを中心とする西海岸のミュージシャンが圧倒的な人気を博した。ウエスト・コースト・サウンドと総称されたが、中でもカントリー・ロックと呼ばれるバンドに私は注目した。イーグルスをはじめとして、ジャクソン・ブラウン、ポコ(Poco)、少し趣向はことなるが、ザ・バンド(The Band)、リトル・フィート(Little Feat)、ドゥービー・ブラザーズ(Doobie Brothers)、オールマン・ブラザース・バンド(Allman Brothers band)枚挙に暇がない。アメリカ南部でも、レイナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)、マーシャル・タッカー・バンド(Marshall Tucker Band)が頑張っていた。
イギリスのロック・シーンも、このアメリカン・ロックの影響を空くなからず影響を受けていたのは間違いない。そんな中でも、ローリング・ストーンズは言うに及ばず独自路線を貫いていた。ほかにもエリック・クラプトン(Erick Clapton)、エルトン・ジョン(Elton John)、ロッド・スチュワート(Rod Stewart)とフェイシズ(Faces)が活躍した。
また、1970年代前半のグラム・ロック(Glam Rock)の流行を忘れてはならない。ティーレックス(T Rex)、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)、ロキシー・ミュージック(Roxy Music)、モット・ザ・フープル(Mott The Hoople)などが一世を風靡した。さらに、レッド・ツェッペリンなどハード・ロックと呼ばれるバンドは地道に活躍。ジューダス・プリースト(Judas Priestやアイアン・メイデン(Iron Maiden)に代表される、一層ヘビーなサウンドのヘヴィ・メタル・バンド(Heavy Metal Band)が台頭していた。だが、私は、ヘヴィメタだけには手を出さなかった。
●ウエスト・コーストが収まるとAORが席巻
ウエスト・コースト・サウンドが収まるとAOR(アダルト・オリエンテッド・ロックもしくはアルバム・オリエンテッド・ロック< Album-Oriented Rock>)が席巻した。日本では専らアダルトなロック(和製英語)、洗練されたロックという意味で用いられた。現在見直されている「シティ・ポップ」に近いかも知れない。
呼称はお構いなしに真っ先に聴いたのが、ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)のシルク・ディグリーズ(Silk Degrees)というアルバムだった。ソロ名義のアルバムだったが、参加したミュージシャンが錚々たるメンバーであったことでも話題になった。サウンドは、とにかく洗練されており、切れ味も鋭く、メロウな曲はあくまで甘く非の打ちどころのないものだ。
その他AORに属するミュージシャンは、ボビー・コールドウェル(Bobby Caldwell)、 ルパート・ホルムズ(Rupert Holmes)クリストファー・クロス(Christopher Cross)、シカゴ(Chicago)などが挙げられる。中には、スティーリー・ダン(Steely dan)をAORにカテゴライズしている資料もあるが、メンバーのドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)のソロ・アルバム「ナイト・フライ (The Nightfly)」のサウンドが近かったためであろうが、少なくともスティーリー・ダンはAORではない。
●フージョンかクロスオーバーか?
私はロックばかり聴いていたわけではなく、ジャズも好きで聴いていた。レコードは代表的なもの、チック・コリア(Chick Corea)の「Return to Forever」、キースジャレット(Keith Jarrett)の「ケルン・コンサート(The Köln Concert)」、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)の「バラード(Ballads)」等である。
そこに、聴きやすいジャズ(当時はクロスオーバーと呼んでいた)が出現した。ジャズを基調にして、ロック、ブルース、ラテン音楽等を融合したフュージョン(Fusion)である。これには、没頭してしまい、多くのレコードを買った。
クルセイダース(Crusaders)、スタッフ(Stuff)、スパイロ・ジャイラ(Spyro Gyra)、ブレッカー・ブラザーズ(Brecker Brothers)、マンハッタン・トランスファー(Manhattan Transfer)、ラムゼイ・ルイス(Ramsey Lewis、ラリー・カールトン(Larry Carlton)、リー・リトナー(Lee Ritenour)、ラーセン・フェイトンバンド(Larsen Feiten Band)他である。
●「レガエ」が日本上陸
「何だ?このリズムは!」。「裏打ち」する独特のリズムが病みつきになってしまった。エリック・クラプトンが「I Shot the Sheriff」をカバーしたことから、話題になった。これを作詞作曲したのが、ボブ・マーリー(Bob Marley)である。当時、このリズムは「レガエ」と訳された。他に例がなかったせいだという。しかし、その後「レゲエ」に変更された。
