… … …(記事全文4,483文字)●「君の背骨は老化が激しい」
40代前後のある健康診断でレントゲン写真を診た医師に「君の背骨は年齢の割に老化が激しいね」と指摘された。「どういうことですか」と尋ねると、「骨がずれていたり、棘状のものが出たりしている」との回答があった。その時は、何の症状もなかったので、さして気にすることはなかった。しかし、年齢を重ねるとともにその医師の言葉が頭をよぎるようになった。
●「頚椎症神経根症」
私は元々猫背でストレートネックだったのだが、40代半ばになって、ある日背中の一部と左の二の腕に痛みが走った。痺れと疼痛と言った方が正確かもしれない。勤務先近くの整形外科を受診すると、聞いたことのない「頚椎症神経根症」と診断された。頚椎を支えている椎間板が変形することで神経を刺激し、片側の腕や手、肩に症状が現れるということだ。
「過度なPC作業が原因でしょうか」と訊くと、医師は「あまり関係ない。原因は加齢です」と告げられた。「加齢」とはショックだった。と同時に首から背中そして腰にかけての骨(脊椎)が普通より老化しているのが災いしているのかと感じた。「対策としては、首の筋肉を付けることですね」と言われても、痛みがあるのですぐには困難だった。治療は、マッサージ台に仰向けに寝てローラーをかけることと痛み止めの服用だった。
近所の整体院へも行ってみた。すると天井に据え付けられた滑車にロープをかけ、片側には錘、もう一方には私の首という形で引っ張る治療を受けた。ずいぶん荒療治であり、怖くなりそれを最後にした。昔はこのような「牽引治療」があったが、現在は行われていないと聞く。
結局、整形外科へ計50回ほど通い治癒した。当時医療保険に加入していたのを思い出し保険料の請求をしてみた。すると通院一日当たり〇円で計算され給付があった。
●「頚椎症神経根症」再発
50代に入り再び左腕と背中に痺れと疼痛を感じた。またかとがっかりしたが、今度は会社の席で上半身を真っ直ぐにできない痛みだった。同じ整形外科に通うものの痛みが引かない。そこで知り合いの柔道整体師のもとを訪ねた。施術と電気治療を受け前回よりも時間をかけることなく、回復した。
これも前回と同じ保険会社へ保険料の請求をした。しかし、今回は保険対象にならないと却下されてしまった。加齢を原因とする傷病は対象外とのことだった。だが、前回は給付されたにもかかわらず何故なのか、いまでも不可解である。
●「頚椎症神経根症」再々発
55歳で東京電力を退職し4年後、私は東京・江戸川区の土木関連会社へ再就職した。業務内容は、傾いたり沈下した家や床を修復することだった。主に現場における作業をしていた最中、「頚椎症神経根症」が再々発してしまった。床下に入るような仕事もするので、とても務めることができなかった。
鍼灸整骨院へ通ったが快方には向かわず、以前お世話になった柔道整体師は移転したうえに保険適用外の施術に変わっていた。費用も高額になり、数回通ったが続かなかった。会社は休暇を取っていたが、治癒の言通しが立たないことから、傷病休暇に切り替えた。自宅で静養しても埒が明かないことから、思い切って新潟へUターンし治療に専念することを決断した。
●新潟へUターン
痛みがある中の引っ越し作業や車の運転は大変だった。ようやく新潟県柏崎市の実家にたどり着いた。実家で暮らすのは43年ぶりのことである。
地元の整形外科ではなく、母が通院している長岡市の病院へ共に行くことになった。改めてMRI検査などを受け、首のストレッチ法の指導を受けた。コロナ禍になったこともあり、ほとんど理学療法を受けることはなく薬の服用を続けた結果、いつの間にか治ったという感じだった。
その間、傷病休暇期間が満了し会社は退職となるとともに、身体には新たな異変が生じていた。涼しい、いや寒いスーパーマーケットの出口で転んだり、新幹線を降りた東京駅のコンコースで脚がもつれ転倒するなどだ。わずかな距離を歩くと、臀部が硬化し感覚がなくなり、一度腰を下ろさないとそれ以上歩けなくなったため、医師に相談した。レントゲン撮影をし、それを診た医師の所見は「腰椎変性すべり症」だった。腰椎がすべり(ずれて)周囲の神経を刺激するため、痛みが生じるという。「今度は腰か」と落胆するとともに、自分の脊椎の老化ぶりに改めて情けなくなった。
●今度は「腰椎変性すべり症」
医師の指示は「まずコルセットを作ろう。隣の部屋へ行ってください」だった。言われるとおり移動すると、そこには業者さんが待機していた。何とも怪しかったが、型を取り高価なコルセットを作った。
何度も通ったが、「とにかく歩きなさい」と投薬(軽い痛み止めと血流を促す薬)だけで痛み止めの注射はもちろん、理学療法は一切行われなかった。1年ほど通ったが、症状は改善しなかったのでこの病院に見切りを付けた。
●整骨院巡り
長岡市のスポーツトレーナーでもある整骨院へ出向き、マッサージ、電気治療、灸などを施してもらったが、あまり効果はない。そのころから、病名は「坐骨神経痛」に変わっていた。整骨院長は言う。「うちはジムを併設していますので、コロナ禍が明けたら下半身を鍛えましょう」と。しかし、私にはそんなエネルギーがあるはずはなかった。
そんな状況で、地元のFMラジオ番組に出演していた整骨医が非常に興味深いことを話していた。
「身体の痛みは、何と言っても筋肉を柔らかくすることが必要です。痛いのに筋肉を鍛えろというのは無理な注文です。まずは痛みを除去して、鍛えるのはその後でやればいい。小さい子どもが肩こりすると、聞いたことがありますか。何故なら子どもは筋肉が柔らかいからです。重要なことは筋肉を柔らかくすることなのです」
なるほどと思い、すぐその整骨院へ予約を入れた。場所は新潟市と遠方だが仕方ない。マッサージ、電気療法、鍼などの治療をしてもらい、多少の良化はあった。しかし、そう簡単に筋肉が柔らかくなることはなかった。
●ペインクリニック受診の勧め
新潟市の整骨院まではやはり遠く、診療費はもちろんのこと高速道路料金も馬鹿にならないことから次第に脚が遠のいてしまった。ただ、たまに東京へ行くとクルマ社会の地元と比較して歩く距離は圧倒的に異なる。地元ではせいぜい3000歩のところ、東京では10000歩を優に超える。その度に歩行の困難さを思い知らされ、いたたまれない 気持ちになるのだった。
実は、それ以前から私が最も信頼を寄せる友人Mから、ペインクリニックへの受診を強く勧められていた。Mは医療関係の知識も豊富で、県内の当該クリニックの所在を調べ、教えてくれてもいた。しかし、地元に存在しないことや麻酔による治療に対する不安などから、通院には躊躇していた。
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)