… … …(記事全文6,256文字)東京電力は、国の決定を後ろ盾に「約束破り」の汚染水の海洋廃棄を強行した。強行前から、福島第一原発の港湾や通常の放出口から高濃度の放射性物質が垂れ流されている現実は、ひた隠しにされている。したがって、放出(廃棄)開始には、さほど大きな落胆はなく、意気消沈もしていない。私たちの目標は「早期に廃棄を止める」ことであり、私も東京電力が止めるまで声を上げ続けることをここで明示しておきたい。東京電力のことだ、何らかのトラブルが発生するのは間違いないだろう。その際に改めて海洋廃棄について触れる。
本稿では、2015年に上梓した「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)の内容を取り上げ、紹介したい。拙著は、テレビ、新聞には完全に黙殺された。テレビは表紙を映すことさえ躊躇い、新聞はタイトルを書くこともしなかった。もちろん、紙上での書評など望むべくもない。まるで「発禁本」扱いだった。出版社もパブリシティには苦慮したようで、日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見をしたのには強い違和感を持った。
また、国会では野党議員が無断で、拙著を根拠に安倍晋三元首相を追及し「私の言うことが嘘ならばバッジを外します。総理を辞める」という答弁があったのは記憶に新しい。事後、野党議員から連絡があり、最後に「蓮池さん、身辺気をつけてください」と言われ呆気にとられたのは忘れない。さらに、中山恭子参議院議員(当時)は、国会で私を「北朝鮮の工作員」呼ばわりした。家族会には「書いてあることはすべて嘘である」と糾弾された。最後の提言、警鐘を鳴らす、言わば「遺言」のつもりで書いた拙著は、強烈な総バッシングを受けたのである。だが、私が嘘を書く理由はないし、8年が経過した現在も状況はいささかも変わっていない。
拙著では、青木理氏との対談も掲載されているので、重要なポイントを引用したい。
●共同通信は支局開設の許可を「家族会」に
青木 知人の新聞記者が当時、面白いことを言っていました。朝鮮半島に関して日本は、戦後ずっと「加害者」の立場だった。つまり常に反省し、謝罪しなければならない立場だった。ところが拉致問題は、戦後初めて日本を「被害者」の立場にし、それを機にして鬱屈していた憤懣や、潜在化していた差別意識などが噴き出してしまったのではないか。そういうのです。こうした面は確かにあるなと私も思います。
蓮池 私も似たような感覚を持っています。ですから、ある種の政治家にとって、拉致問題はずっと続いていてくれたほうがいいのです。
青木 もう少し広い目で見れば、中国の経済成長や韓国との関係悪化、そうしたいろいろな要素が混ざり合っていますが、日朝首脳会談や拉致問題を契機とする北朝鮮バッシングの風潮が大きな基点になったことは間違いないでしょう。韓国、北朝鮮、そして中国という、かつての戦争被害国の一角に対し、あれほど露骨な攻撃やバッシングを浴びせかけたのは戦後初めてでしたから、一部のメディアも、その風潮を確実に後押ししました。
私は1997年、ちょうど金大中が大統領に就いたころ、語学の勉強のためにソウルに1年留学しました。特派員としてソウル支局に赴任したのは2002年、ちょうど日朝首脳会談のころです。当時の韓国には、まだ南北首脳会談の余韻が残っていて、北朝鮮との対話路線が継続されていました。一方、日本では、拉致問題のショックと反発が社会を覆い尽くし、メディアも拉致問題や北朝鮮批判一色に染まっていました。
蓮池 活動のまっ只中にいた私は気付きませんでしたが…。
青木 もちろん拉致問題が日本にとって最大のイシューの一つだというのはまったく否定しません。が、あまりにも一色に染まった状況を特派員として外から見ていると、おかしなこともたくさん起こるわけです。
日朝首脳会談からしばらくのち、北朝鮮の核開発計画が大きな外交問題として浮上して、日米韓に中国、ロシア、そして北朝鮮による六カ国協議がスタートしました。いうまでもなく、協議の課題は北朝鮮の核やミサイル開発問題なのですが、東京からやってきた日本の記者は、記者会見などで拉致問題のことばかりを質問する。欧米や韓国のメディアから見ると、とても奇妙な光景だったのです。核やミサイルは日本にとっても大きな脅威なのに、どうして日本のメディアは拉致問題ばかりに目を奪われているのか、と。
蓮池 それは正しい指摘だと思います。メディアの人間が、私たち被害者の家族と同じような動きをしたのでは、プロ意識に欠けるといわれても仕方がないでしょう。
青木 おかしなことを挙げればきりがありません。たとえば共同通信が平壌支局を作ったのは2006年だったと思いますが、メディアができるだけ多くの場所にアンテナを張り、取材拠点を設けようとするのは当然のことです。支局を作ることにはもちろん何の問題もないのですが、当時は第3次小泉政権から第1次安倍政権へ移行する時代、そこで共同通信は神経を尖らせていたわけです。政権や右派から批判されたら厄介なことになる、と。
そこで政治部などを通じて官邸側に必死で根回ししたり、挙句の果てには横田滋さんを本社に招いて「平壌支局を作るのですが、ご理解いただけますか」とお伺を立てたり…
聞くところによると、横田さんは「マスコミがいろいろなところにアンテナを張るのは当然ですから、私たちがいいとか悪いとかいう話ではないと思います」と答えられたそうです。極めて真っ当な対応です。
しかし、そういうことについて、わざわざお伺いを立てる…「家族会」に。バカなことですけれど、そういう雰囲気だったのです、当時は。実際、横田さんの冷静な対応とは対照的に、増元(照明)さんはネットのブログ等で「売国通信社」などと激しい罵声を浴びせ、右翼の街宣車などもやってきたと聞いています。
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)