… … …(記事全文4,755文字)日本経済の衰退ぶりには、そろそろ本気で危機感を持たねばならない時が来ているようです。
今般、国際通貨基金(IMF)が発表した2025年の予測によると、日本の一人当たり名目GDPは33,960ドルにまで低下し、ついにスペイン(36,190ドル)に抜かれてしまいました。日本は世界34位という位置に甘んじ、アジアではシンガポールや台湾、韓国にも肉薄される有様です。これは円安だけのせいではなく、日本そのものの国力が相対的に低下している証拠であると受け止めるべきでしょう。
一人当たりGDPという国民の「豊かさ」の指標でここまで順位が下がった背景には、実は我々が深く知らない「ある真相」が横たわっているのです。
■ あのバブルは「人為的に創られた」ものだった
一般には、日本経済が低迷するきっかけは1990年のバブル崩壊にあるとされ、大蔵省による総量規制などが過剰な金融引き締めを招いたと説明されてきました。元衆議院議員で大蔵省OBの桜内文城氏は「大蔵官僚が会計の知識を持たず、不良債権処理に失敗した」と指摘しています。それはその通りでしょう。
しかし、それ以上の「異様な恣意性」が、あのバブルとその崩壊の背後に存在していたことを明らかにしたのが、ドイツ人経済学者のリチャード・ヴェルナー氏です。氏の著作『Princes of the Yen(円の支配者)』は、日本の金融政策が意図的に景気の過熱と崩壊を生み出した実態を、実名と実数値で白日の下に晒しました。
鍵を握るのは、日銀が水面下で行っていた「窓口指導」という非公式な制度です。これは、法的根拠が不明確でありながら、民間銀行に対して融資枠や融資先を指示するものでした。とりわけ1986年から1989年にかけて、日銀はこの窓口指導を駆使して銀行の貸出を年平均10%以上のペースで急拡大させました。その結果、実際の資金需要をはるかに超えるお金が市中に流れ、融資対象は信用度の低い若年層や、担保価値に疑問のある不動産にまで及ぶようになりました。これが、あの狂乱のバブルを生み出したのです。
象徴的だったのが、1989年、三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを約2200億円で買収した事件です。世界が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と囃した時代の極点にあったこの買収劇の裏では、すでに崩壊が仕込まれていたのです。
■ 崩壊を「意図的に長引かせた」エリートたちの存在
日銀がそのような強権的な窓口指導を用いたのは、誰の判断だったのか。
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