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昨日、三笠宮妃百合子さまが薨去された。
101歳という、明治以降の皇族として最高齢。
三人の御子息に先立たれた不幸があるが、夫である三笠宮崇仁(たかひと)親王が2016年に100歳で薨去されたこととあわせ、ご夫婦そろっての大往生はお見事ではないだろうか。
百合子さまの容態が悪化しているということで孫の彬子女王(百合子さまの長男、寛仁親王の長女)は、9日、急遽訪問先のイギリスから帰国され、入院中の病院に駆けつけられた。
寛仁親王の次女、瑤子女王、百合子さまの三男、高円宮殿下の妃久子さまなどが何度もお見舞いされるなか、昨日、静かに旅立たれた。
そして今日、葬儀の喪主は彬子さまであることが発表された。
普通に考えたら、長男である寛仁親王妃の信子さまであるはずだ。
ではなぜ彬子さまなのだろう。
それは寛仁親王家の家庭内で展開された確執の歴史を知らないと理解できない。
今年8月、寛仁親王妃信子さまが長年、1人でお住まいになっている、宮内庁分庁舎の改修工事の予算が約13億円であるというニュースが報じられた。
事情を知らない方は、なぜそのようなところにお一人でお住まいなのかと不思議に思われるだろう。
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