… … …(記事全文3,453文字)一昨日(三月三十日)から昨日(三十一日)にかけて,表現者クライテリオンシンポジウムにて,沖縄に行って参りました!
思えば前回の沖縄シンポは,クライテリオンが立ち上がった二〇一八年の八月.
あれから二度目となりますがやはり地政学的,歴史的に重大な意味を持つ,「沖縄」という地での議論は,実に実り多きものとなりました.
特に今はトランプ大統領誕生を受け,日本の安全保障環境が劇的に変化することが予期されるこのタイミングにて,広大な米軍基地をかかえ,有事が危惧される台湾にほど近い沖縄での議論は,大変に重大な意義を持つものとなりました.
シンポジウムにはおおよそ100名の方が参加.沖縄からだけでなく,全国各地からの参加を迎え,シンポ終了後には一次会,二次会,三次会と,編集委員の浜崎さん,柴山さん,川端さんや沖縄シンポをコーディネート頂いた藤原昌樹さんはじめ,大いに飲みながら大いに語る,またとない素晴らしい機会となりました.
シンポ翌日には首里城や那覇港・三重城跡を,沖縄大学の宮城能彦教授(社会学)にご案内いただきながら視察.
琉球王朝誕生前からの長い歴史について大いに学ばせていただき,幾度となく目から鱗が落ちるような思いを致しました.
広大な米軍基地を見ていると,とりわけ英語で立ち入り禁止を「Causion!」という命令形で威嚇するサインが書かれたゲートを見ていると,ここは一体どこの国なのだとの感慨を深めざるを得ません.
というより,この地は未だ,昭和20年に米軍に占領されたまま,80年が経過した今もなお,米軍が占領し続けているのだという事が,そして,戦争に負けるとは一体何なのかが,実感を伴って分かって参ります.
そんなこんなを感じていますと,沖縄県民が反対を叫びたくなる気分も,日米関係の悲哀の中で米軍の駐留を政府の立場で沖縄県民に対して「ご理解下さい」と説明せざるを得なくなる気分も痛いほど分かって参ります.
そんな悲しき状況を打開するためにも,「核の傘」のあり方についての議論を中心とした,日本の自主防衛力を一日も早く高めて行かねばならぬとの意を改めて強くする他ありません.
ましてやトランプ大統領就任以後,「日米同盟」という屋台骨を米国が取り壊す意向を持ち始めたことが明らかな今,その自主防衛力の確立に向けた動きをまさに今始めねば成らぬ事が見えてきます.
そしてそのためにも,「PB規律」という我が国政府の財務省が,我が国の政府全体に嵌めた軛(くびき)をいち早く緩和・凍結しなければならない,という真実も見えて参ります.
さらには,米国の指図のままにまるで奴隷の様に従い続ける無気力な石破外交に象徴される対米隷属外交を改め,アメリカを恐れず,文字通り対等に交渉を進める力強い外交が必要であること,そしてそのためにも,それを腹をくくって進めることができる政権の誕生を可及的速やかに実現せねばならない,という真実も見えて参ります.
それがここ数ヶ月の間に実現出来るかどうかに,沖縄のみならず我が国の命運が罹っていると言うことができるでしょう.
そんなことを考える上で何よりも大切なのは,「沖縄も日本の一部だ」という「同胞意識」を沖縄県民の内にも,「内地」の人々の内にも確立すること.
ところが,沖縄はもともと日本とは異なり,中国とも関係の深い「琉球の国」であり,それを明治政府が強引に日本に接収したのだ…という歴史観が,「沖縄も日本の一部だという同胞意識」の共有を妨げているのが,現実です.
その現実があるが故に,沖縄県民の精神の内に,自分勝手な都合で米軍基地の引き受けという超絶なコストを沖縄に押しつけているという,「反政府意識」がさらに加速しています.
そして,我々「内地」(沖縄以外の日本)の人間はとかく沖縄と日本の相違点に目が行きがちですが,客観的に見れば沖縄もまた紛うこと無き「日本の地方」の一つに過ぎないのです.
宮城先生のお話によると次のような(1)~(7)のような歴史があるそうです.
(1)縄文期に台湾・沖縄方面から人々が日本列島に流入(朝鮮半島から流入した人々との融合で,彼らが「日本人」となる)…
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