… … …(記事全文2,612文字)この度,表現者クライテリオンで「映画とわたし」と題した連載を始めることとなりました.
その第一回を,編集長として当方が担当する事になったのですが,やはりこの連載の第一回目は,当方が一番好きな映画『エクソシスト』について書かねばならない,ということで書いてみました.
ただ,字数制限が1800字,しかも冒頭で本連載の趣旨を書かないといけない,ということで,かなり限られた文字数で,当方にとって最も大切な映画であるところの「エクソシスト」について書かないといけない…ということで,何度も何度も遂行しているうちに随分と時間がかかってしまいましたが,ようやく1800字に収まりましたので,ここにご紹介差し上げます.
お陰様で,エクソシストの要諦を,そして筆者にとってエクソシストが如何なる存在であり,筆者が自らの人生をどの様なものと見なしているのかを,簡潔にまとめることができました.
この機会に是非.ご一読下さい.
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『映画とわたし』 エクソシスト(藤井聡)
映画,というものは我々の人生に重大な影響をもたらす.小説も芝居も漫画もそれぞれに影響はあるが映画のそれは他と決定的に異なる.2時間前後という限られた時間の中で映画は音と映像を駆使して我々の精神を大きく支配する.我々の脳はその映画鑑賞という「疑似体験」を日常では体験し得ない一つの「実体験」と見なし,その「実体験」がその後の人生に重大インパクトを残す.だからどんな人にも特別な映画体験が各人各様にある.
この『映画とわたし』ではそんな本誌執筆陣の映画を巡る個人体験に基づく映画批評の連載だ.そしてその第一号として当方が取り上げることにしたのは,当方が一番好きな映画として常々に口にしてきた『エクソシスト』(1973年,米国)だ.
全世界にオカルトブームを巻き起こしたホラー映画の金字塔であるこの映画は,悪魔パズズに憑依された13才の少女のエクソシズム=悪魔払いの物語だ.一人の平凡な少女の挙動が徐々に邪悪で異常なるものへと変質していく.医師団は治療を試みるが,手には負えなくなった挙げ句に「エクソシズム」を提案.そしてエクソシズムの第一人者たるメリン神父とその助手のカラス神父が少女の下に訪れ,聖書と聖水を手に悪魔払いの儀式を行う.その闘いは壮絶を極め,最後に二人のエクソシストの命と引き換えに悪魔は少女から離れ,映画は終わる.
この映画封切当時5才だった当方はCMや映画雑誌の写真を目にし,悪魔に憑依され「悪魔」と化した少女の顔とその姿に心底怯えていた.しかし,というよりだからこそ当方は映画館での視聴を希求し,家族に懇願したのだが,5才の子供のそんな無謀な願いは聞き届けられなかった.
そんな当方の思いはその後も募り続けたのだが…
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