… … …(記事全文2,658文字)本日記読者の方から,次のようなメッセージをいただきました.
「ここ数日、美容整形外科医が、検体の実習時に、ご遺体の前でピースした写真をSNSやブログに投稿して大炎上となっています。
コモンセンスの話として論外ですが、コモンセンス常識の源泉ともなる宗教観を完全に失ってしまっているのだなと感じました。
私の家は神道です。とは言え、緩い感じで、一般的な日本家庭と同様の祭事をする程度です。
私の母が数年前に亡くなりました。火葬した際に、職員が、ここは大腿骨で、ここがどこどこで、、、と説明することが多いと思います。
私がお世話になってる宮司さんの考えにより、私はその説明を拒否しました。
人が亡くなって、たとえ骨になっても、この方のプライバシーを尊重する。よってたかって、ましてや他人の職員にジロジロ見られていいはずがない。という考え方です。
私はこれを全員に強制する気はありませんが、神道をルーツとしたかなり勉強熱心な宮司さんの考え方、宗教観なので従いました。
日本は常識や倫理観や宗教観のようなもの、ひいて国家観のような物を完全に失った、ただの日本人というラベルで繋がっただけの集団になってしまったのでしょうか。」
このメッセージは下記の報道についてのものです.
この読者様の最後の見解「日本は常識や倫理観や宗教観のようなもの、ひいて国家観のような物を完全に失った、ただの日本人というラベルで繋がっただけの集団になってしまったのでしょうか。」…というものと当方もまったく同じ感想を抱きます.
この美容整形外科医の振る舞いは,この読者の方が仰る,誠に持って簡単な言葉であるところの『常識』(コモンセンス・common sense)を逸した振る舞いです.
同様の感想は,
「維新」の大阪都構想を巡る振る舞いについても,
「石破」の振る舞いについても,
「岸田」の振る舞いについても,
「斎藤」の振る舞いについても,
「宮沢洋一」の振る舞いについても,
「上田日銀総裁」の振る舞いについても,
「コロナ」を巡る知識人や医師達の振る舞いについても,
同じような感触を抱きます.
当方は,そうした当方の感触が理解出来ない,それどころか上記の様な人々や振る舞いを支持するような人々と,「口をきく気になれない」という印象を抱いています(この言葉は,自害直前に三島由紀夫が書いた最後の文章において,こんな日本になっても構わないのだという人に対して三島が書いた言葉です).
しかし,それではそんな「沈黙」はそうした人々を増長させ…
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)