… … …(記事全文3,478文字)次号のクライテリオンの特集「指導者の条件:徳と品格の思想」なる特集号に,久々に書き下ろし原稿を書くことになったのですが,本日,その原稿を書いておりました.
なぜ当方がこれを書くことになったのかというと,指導者の徳が大事だなぁという特集なのですが,指導者ということで代表的な人と言えば,列島改造論を書いた田中角栄だが,田中角栄だったら,藤井さんが書いたらどうでしょう,ということに会議でなって,それじゃぁ,書きましょうかと言うことで書いたという次第.
全体像は是非,次号でご覧頂ければと思いますが,今回力を入れてかいた部分が,「角栄が世論から嫌われたのは,彼の徳の高さ故なのだ」という一点.
それを具体例を挙げながら書いたのですが,その箇所,下記にご紹介さし上げます.
要は,今の「石丸現象」をコインの表側とするなら「角栄が政治の表舞台から葬りさられた現象」というのはコインの裏側だ,というお話しです.
考えれば考える程,日本の闇は深く,その病理は深刻ですね…
…ということで,拙稿の一部分ですが,どうぞ,ご覧下さい…
「徳の高さ」故に忌み嫌われた角栄
つまり角栄が世論から蛇蝎の如く嫌われてしまった根本的理由は,「彼の徳高さ故なのだ」ということになるわけだが,この点を彼の言葉を拾いながら改めて確認してみることとしよう.
例えば,角栄が後輩達に常々言っていたこの言葉――「バカ野郎っ!どこ見て政治をやっているんだ.お前達は,日本のために政治をやっている.私情で動いてどうする.政治家,リーダーというものは,どんな場合でも最後は51%は公にほう得るべき,私情は49%にとどめておくべき者だ.公六分で判断した場合,仮に失敗しても逆風を交わすこともできる.私情優先では同情の生まれる余地はない」を考えてみよう.
まさに至言.永田町を埋め尽くしている「私情」にばかりかまける政治屋達の精神の内にも一部の公が宿らせることが国益増進のために必須であること,しかしそれが絶望的に困難であることの双方を見据えつつ,49%の短期的な私益と「失敗」した時の長期的な私益に訴えかけることを通して,わずかなりとも公を慮る精神を蘇らせんがために吐かれた公知公徳に溢れた言葉だ.
しかし,そんなことは「公」というものが理解できない下衆どもには全く分からない.…
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)