… … …(記事全文3,364文字)この度、かねてから、というかもう、当方が20代の頃からずっと行きたい…というか行かねばならないと思い続けてきた、熊野の「本宮」大社にお参りすることが叶いました。
日本には「熊野詣」の伝統があり、平安時代から、熊野三山という、
・熊野本宮大社(いわゆる、本宮)
・熊野速玉大社(しわゆる、新宮)
・熊野那智大社(いわゆる、那智大社)
を、長い間、実に多くの人々が参詣してまいりました。古くは平安時代の宇多法皇が熊野詣に訪れている記録が残っていますが、それ以後、百回以上にわたって、歴代の法皇・上皇・女院が熊野の地に足を運んでこられたとのこと。
以前もご紹介したかも知れませんが、当方の師匠筋の一人にあたる、土木工学の世界で、「風土工学」を立ち上げ、風土をまもり、研き、伝承することの重要性を叫び続けられた佐々木綱先生が、若い研究者や関係者を連れて毎年、訪れていたのが、この熊野詣でした。
とりわけ、佐々木先生の専門は「道路」でしたから(したがって、当方も当然、「道路」の研究が専門となります)、「熊野古道」をしっかりと踏みしめながら数日かけて熊野山中を歩き、熊野三山にお参りするのは大変に重要な意味を持っていたのだと考えます。
…で、当方これまで、縁あって新宮に仕事で訪れた際に、新宮と那智大社に訪れたりしたことがあったのですが、「本宮」には参拝したことがなく、是非一度行きたいとかねてから思っていたところ、この度ようやく、参拝が叶ったという次第。
お恥ずかしながら、宇多法皇や佐々木綱先生らの徒歩と違い、自動車での参拝となりましたが昨日一日かけて、本宮から新宮、そして最後に那智大社にお参りすることができました。
熊野、とりわけ本宮に参っておりますと、俗世から離れた世界であることはもちろんのこと、これまで触れてきた宗教的なものが全て俗世的に感じられてしまう程の神聖さを感じてしまいます。
本宮は熊野坐大神(くまのにいますおおかみ)が主祭神の神社ですが、この熊野坐大神は実は、須佐之男命(日本列島をつくり、皇室の祖先であるとされるイザナギ・イザナミの子であるスサノオノミコト)だと言われています。しかも、このスサノオのミコトは、(仏教で言うところの本地垂迹説においては、本当は)阿弥陀如来と言われています。さらに言うと、阿弥陀如来というのは、浄土宗や浄土真宗のご本尊で、宇宙で一番エライ(笑)神だとされています。
ちなみに、スサノオは本宮では一番メインの神様ですが、イザナギ、イザナミ、アマテラスもまつられており、さらには、それら以外の全ての八百万の神全てが祀られています。
…ということで、本宮の神様は、トランプで言うところのロイヤルストレートフラッシュのような、麻雀で言うところの九連宝燈の様な存在なわけで、兎に角、何にしてもすっごくエライのだ! って事になってるわけです。
ちなみに、あれこれ調べて見ますと、昔は主祭神の熊野坐大神は、スサノオだとは見なされてなかったようです。そう言われるようになったのも結構最近で、江戸時代後期じゃないかという説もあるそうです。
じゃぁ、熊野坐大神の素性って何なのかっていうと、ハッキリしないのだということ。
ってことしゃつまりもう本宮という存在は…
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)