■英国のエリザベス2世が8日死去した。健康状態悪化の報道からわずか半日の早さで逝った。その2日前の6日、トラスの新首相信任の公務をつつがなく執り行っていて、笑顔で元気そうな姿を英国民と世界に見せていた。死を2日後に控えた96歳の重病の老体で、どれほど心身に堪えていただろうかと想像させられ、最後まで使命と責任を果たし抜いた君主の姿に感動させられる。この人らしい最後の演出であり、自身と自国の評価を高め、プリファレンスとプレステージを大きくすることに尽くし切った見事な人生の終幕だった。 欧州を含めて世界に立憲君主国は多くあり、そこに国王がいるけれど、英国だけは何かが違っていて、別格な印象があることをずっと思ってきた。そして、それがエリザベス女王という君主の政治的指導力と関わっているという真相を徐々に感じていた。この人のカリスマ性と政治家としてのセンスとスキルは並々ならぬものがあり、その能力によって英国の今日があるのではないかと直観していたのだけれど、ビル・クリントンがそれを裏づける証言を発していた。政治と外交で卓越した力を持った人物であると。クリントンはよく見抜いていると思う。彼女はただのお飾りの君主ではなかった。 ■「君臨すれども統治せず」が英国の立憲君主制の別名であり、トレードマークの言葉である。だが、よく観察すると、実際はイメージとは少し違う。前から薄々思っていたことだったが、今回そのことを確信した。日本の象徴天皇制は英国の立憲君主制をモデルとしたものだと、われわれは学校で習い、そう通念してきた。したがって、日本の象徴天皇制の現実から英国の立憲君主制を想定している。だが、英国のそれは成文法ではなく慣習法の憲法の下での政体であり、過去と現在に(日本のような)断絶はなく、伝統のシステムが継続されていて、統治機構における王室の役割がきわめて大きいのである。 つまり、簡単に言えば、王が国家の統治に関わる余地が多くあり、実際、エリザベス女王は統治行為に参画していたのである。統治を分担していたという表現が正確だろうか。王室と内閣が統治を分担していたのが英国の現代政治の実態だ。具体例を挙げれば、昨年のコーンウォールG7サミットにエリザベス女王が堂々と出席し、首脳たちの記念撮影の場で前列中央に収まっている。外交の檜舞台で主役の活躍を演じていた。日本ではあり得ない事態である。国事行為が厳密に憲法条文に定められている日本で、天皇がG7サミットに登壇したら即憲法違反となる。が、英国では誰も文句を言わない。… … …(記事全文4,519文字)