━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「植草一秀の『知られざる真実』」 2012/07/27 消費税・原発・TPP・辺野古意思表示統一戦線構築を 第298号 ──────────────────────────────────── 元外務省国際情報局長、防衛大学校教授などを歴任され、現在は精力的に執筆 および情報発信活動を展開されている孫崎亨氏の新著『戦後史の正体』(創元 社)が刊行された。 戦後日本はGHQの占領下に置かれた。 GHQは当初、日本の徹底的な民主化を推進した。 このなかで、財閥解体、農地解放、労働組合育成などの措置が取られた。 さらに戦争放棄の規定を持つ憲法が定められ、NHKの抜本的な改革も俎上に 載せられた。 ところが、米国の外交戦略が転換され、対日占領政策は劇的な変質を遂げた。 これが「逆コース」と呼ばれる占領政策の転換であった。 皮肉なことは、戦争放棄の条文を持つ日本国憲法が施行された1947年5月 の直前に、米国の外交戦略の転換を象徴するトルーマン・ドクトリンが発表さ れたことだ。 日本の民主化措置は中断され、日本における思想統制が再開された。 また、米国は日本の再軍備の方向に占領政策を大転換させた。 戦後日本の政治は、対米隷属派と自主独立派とのせめぎ合いのなかで織りなさ れてきた。 1946年4月の敗戦後、初めての総選挙を受けて鳩山一郎政権が発足するは ずだった。 ところが、この直前に、鳩山一郎氏は公職追放処分を受けた。棚ぼたで総理の 椅子を手にしたのが吉田茂氏だった。 吉田茂氏は外相として、公職追放リストをGHQと折衝する窓口役を務めてい た。実は吉田茂氏自身も、1927年の東方会議などに関与したことなどから、 公職追補リストに掲載されていた。吉田茂氏は、マッカーサー夫人にリンゴ、 桃、メロン、トマト、花などの付け届けを頻繁に行うなど、公職追放逃れとも いえる工作活動を展開し、見事に公職追放リストから除外されることに成功し た。 他方で、鳩山一郎氏の公職追放の動きに対しては、一切の回避活動などを行わ… … …(記事全文5,494文字)
メルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」
植草一秀(政治経済学者)