━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2023年4月2日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日刊) 第1章 剛腕の強力なバネはコンプレックス 田中角栄もコンプレックスの魂 ─────────────────────────────────── 日本においては、小沢一郎の政治の師匠・田中角栄(元首相)も、コンプレックスの塊だった。これを強いバネにして、政界を牛耳ったのである。 私は、このことを「史上最強の父娘―田中角栄と田中眞紀子」(KKベストセラーズ刊)のなかで、指摘した。何と驚くなかれザッと点検しただけで、田中角栄は12ものコンプレックスを持っていたことがわかった。 田中角栄の一生は、心の内にわだかまるそれらのコンプレックスがもたらす劣等感(インフェリオリティ・コンプレックス)との血みどろの苦闘でもあった。孤軍奮闘、よく戦い、これをまたよく克服した。 時代背景こそ違っても、やはり貧農の小伜という同じような境遇に生まれて天下人を極めた人物としては、田中角栄は、豊臣秀吉(1536~1598年)に次いで、二人目の偉大な歴史上の人物だった。 田中角栄は、豊臣秀吉が死して320年後に生まれ、総理大臣にまで昇りつめた。めざましい立身出世ぶりは関白・豊臣秀吉にあまりにも相似している。このことから、「昭和の今太閤」と呼ばれた。まさに300年に一度現れるか現れないかの傑物であった。 田中角栄のコンプレックスの一番目は、マザー・コンプレックスである。母親には終生頭が上がらなかった。… … …(記事全文4,664文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)