━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2023年3月26日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日刊) 第1章 剛腕の強力なバネはコンプレックス 父の死がきっかけで政界へ ─────────────────────────────────── 次の年の春、小沢一郎は、二度目の挑戦をするための最後の仕上げにかかっていた。その最中に、父は体力の衰えから急に元気がなくなり、東京慈恵医大病院に入院した。父は、当時、公職選挙法改正特別委員長の要職にあった。 だが、父の容体は、よくなることがなく、昭和43年5月8日未明、心不全のため69歳で他界してしまった。年齢的には早すぎる死だった。小沢一郎は、司法試験を間近に控えてこの不幸に見舞われた。 しかし、父の死は、小沢一郎の生き方をガラリと変える大きなきっかけとなった。父の後援会のなかには、小沢一郎が父の後継者になるのは、「まだ若すぎる」と反対論もあった。恩師に相談したところ、「お父さんが苦労してここまで築いた選挙地盤ではないか。一郎が跡を継がなければ、どうするのか。お父さんも残念に思われるだろう」 という言葉を受けて、小沢一郎は、父の跡を継ぐ決心をした。昭和四十四年の総選挙で、父の地盤(岩手二区)をそっくり受け継いで弔い合戦に出馬し、あっぱれ七万票の爆発的得票により初陣を飾ることができた。 父は、藤山愛一郎の側近で、藤山派の重鎮だったが、若手の新人議員を集めていた田中角栄の率いる「田中派」に入った。小沢一郎は、田中から、 「一郎よ、政党人でやるなら、総理総裁を目指す前に幹事長を狙え」… … …(記事全文2,655文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)