━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2023年3月14日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 自民党内では、高市早苗が岸田首相に擦り寄ったことが功を奏し、救済の方針で幕引きのはずだった。ところが、一向に幕は引かず、高市は引くに引けないところに、自ら身を置いてしまった。 ─────────────────────────────────── ◆〔特別情報1〕 これは自民党二階派「志帥会」重鎮からの特別情報である。 菅義偉前首相が12日夜、東京都内の日本料理店で萩生田光一政調会長や加藤勝信厚生労働相、武田良太元総務相と会食した。萩生田は清和会、加藤勝信は茂木派(旧竹下派)、武田良太は二階派だ。菅は、それぞれの派閥から若手リーダーを呼んでいる。何か立ち上がるような感じがする。まず、菅は萩生田を通じて、安倍派の切り崩し及び取り込みを仕掛けている。萩生田を陣営に入れることで、安倍派の多数を取り込むことができるだろう。加藤勝信は、安倍の実母である洋子夫人が「ポスト安倍晋三」として推してきた政治家だ。加藤勝信の義父・加藤六月は長年にわたって、安倍晋三の父・安倍晋太郎に仕えてきた政治家である。 加藤六月は、安倍晋太郎亡き後、清話会後継者を巡って三塚博と対立。「三六戦争」と呼ばれるほど激化した。結果は安倍派座長の長谷川峻の裁定で三塚が後継者となり、加藤六月は三塚派を除名されることとなる。加藤はこれを不服として派閥の総会に乗り込んだが、小泉純一郎に追い返されたのだった。そして加藤六月は、1993年7月の第40回衆議院議員総選挙直後に自民党を離党。無所属を経て1994年4月、小沢一郎率いる新生党に参加し、羽田孜を首班とした羽田内閣では再度農水大臣に就任。その後は新進党、自由党で小沢一郎と行動を共にしているが、小渕政権での自自公連立から小沢一郎率いる自由党の連立離脱には反発、二階たちとともに保守党結成に参加し政権に残ったのだった。そして、加藤六月の地盤を受け継いだのが、元大蔵官僚で退官後に六月の秘書を務め、加藤六月の娘婿である加藤勝信だ。最初は、1998年、第18回参議院議員通常選挙に岡山県選挙区から無所属で出馬したが、落選。その後、2000年の第42回衆議院議員総選挙に自由民主党から比例中国ブロック単独7位で出馬したが、再び落選。この時、当初は義父・加藤六月の地盤であった岡山5区から民主党の公認を受けての出馬を模索していたが、直前で岡山県選出の橋本龍太郎元首相の誘いを受け、自民党に鞍替えしている。続く2003年の第43回衆議院議員総選挙では、比例中国ブロック単独3位で自民党から出馬し、晴れて初当選。当選後に橋本龍太郎が会長を務めていた平成研究会(旧竹下派)に入会したのだった。 その旧竹下派は紆余曲折を経て、故・竹下亘会長のもと会長代行だった茂木敏充が会長となった。しかし、長年、参院のドンとして君臨してきた青木幹雄は小渕優子が会長を率いるべきと茂木に反発してきている。かつて平成研究会に所属していたこともあった菅はそこに目をつけ、加藤勝信を取り込んでいる。その平成研究会では、小渕優子が虎視眈々と動き出しているという。高市早苗は、肉食系女子を武器に、安倍にうまく取り入った。一方で、小渕優子は、永田町「酒豪」として名を馳せてきたのだが、安倍の「カノジョ」としての誘いには乗らず、冷や飯を食らっていた。そこを心機一転しようとしていた矢先に、安倍は銃撃により死去したのだった。ここで、小渕優子が、どこに動き始めているのかというと、当然、菅派である。旧竹下派は本来の筋からいえば、小渕優子が会長になるはずだった。もしくは加藤勝信だ。加藤勝信は、安倍晋三の母・洋子夫人が推していたが、その洋子夫人にしても晋三は亡くなり、自身は施設暮らしとなったことで、政界への影響力は弱い。一方、小渕優子については、後ろ盾の青木幹雄が目の黒いうちは、なんとしても小渕を会長にと、強く推していくことだろう。 【参考】菅前首相、リーダー候補「HKT」と初会合 キングメーカーの鍵握る 2023/3/13 産経新聞… … …(記事全文3,545文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)