━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2022年7月14日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「日本の暗部」 極左過激派の多くが、警察からの弾圧を逃れるため、統一教会「原理研究会」に入り「勝共連合」として自民党本部を占拠、自民党議員秘書として自民党を支える集団となっていった。 ─────────────────────────────────── ◆〔特別情報1〕 安倍元首相銃撃により、再び、旧統一教会がトレンド入りしている。そして、岸田文雄首相は14日の記者会見で、銃撃により死亡した安倍元首相の政府主導の葬儀について、今秋に「国葬」として実施すると表明した。早々に「国葬を行うべきだ」と亡くなってなおも忖度したのは、安倍派所属の下村博文前政調会長だった。「安倍派を軽視すれば、保守層からの支持を失う可能性がある」と牽制もしており、主(あるじ)なき「清話会」の跡目争いを見据え、安倍への忖度というよりは、トレンド入りした「旧統一教会」への忖度だったかもしれない。下村は、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修を卒業している。 早稲田大学は特に、統一教会の学生下部組織「原理研究会」の活動が特に活発なところだった。 安保闘争で学生運動が盛んだった頃、早稲田大学では過激派集団「革マル派」の活動家が多くいた。ところがやがて警察から弾圧を受けるようになってくると、早稲田大学「革マル派」のかなりの部分が、統一教会の学生下部組織「原理研究会」に逃げ込んでいった。そのまま統一教会の会員となり「国際勝共連合」メンバーへと変貌していく。日本の権力の中枢は自民党であり、「国際勝共連合」のメンバーとなった元「革マル派」の連中は、自民党を支える集団となっていく。だから彼らが最初に狙ったのは自民党本部であった。自民党本部を占領すると同時に、自民党の国会議員の秘書として奥深く、そして幅広く潜入していった。つまり、彼らの思想の底流には極左「革マル」が色濃く残っている。極左から極右と、思想的な転換においては、かなりいい加減だ。しかも「キリスト教」のベールを被っているということだ。 統一教会が、1950年代に日本で布教活動を始め、学生下部組織としては「原理研究会」で勧誘を増やしていった。岸内閣が総辞職を余儀なくされた「60年安保闘争」の学生運動になぞらえ、1967年7月7日には「親泣かせの『原理運動』」という見出しで朝日新聞が最初に統一教会の問題を記事にしていた。これを皮切りに各紙も取り上げ、大きな社会問題として表面化していった。さらに国民の間で「統一教会」がカルト教団として周知されるようになったのは、90年代はじめ、タレントや元体操選手や有名作家の娘が入信していたことが話題となったときだろう。「まがい物」の印鑑や壺を売りつける霊感商法が暴露され、さらに合同結婚式も大きな話題となり、日本の女性有名タレントが「統一教会」の広告塔となっていたことが大きな騒動となった。マインドコントロールや洗脳という言葉がメジャーな言葉として使われるようになったのも、このときからといえる。 ◆〔特別情報2〕 60年代に社会問題化したときは、親たちが統一教会を訴えていたわけだが、遂に信者たちが親となり、被害はその子供たちに及んでいるということになる。しかも統一教会は名称を「世界平和統一家庭連合」に変えて、二世信者の人生を食い物にすることとなるわけだが、安倍を銃撃した山上容疑者の人生は、まさにその典型だったといえる。… … …(記事全文3,783文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)