━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2021年12月1日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 立憲と国民に野党が分裂した原点、「希望の党」の失敗には、当時の連合会長・神津里季生氏が関わっていた。いまさら「連合の考え方に理解を求め、両党協力し合って」とは、あまりに虫が良すぎる。 ─────────────────────────────────── ◆〔特別情報1〕 立憲民主党代表選挙で選出された泉新代表は、代表選挙で争った西村智奈美元厚生労働副大臣を幹事長に起用する意向を固めた。12月2日にも両院議員総会を開いて、人事の骨格を示す方針だという。代表選を終えて新しい顔になった立憲民主党に問われているのは、共産党との野党共闘をどうするのかということと、そして同時に、連合との距離をどうするか、いわば党としての立ち位置に注目が向けられている。そうしたなか、11月28日のBSテレ東の番組に出演した連合の芳野友子会長の発言が波紋を呼んでいる。芳野友子会長は、共産党との野党共闘について「あり得ないと言い続けていきたい」と述べ、立憲の新代表に対しては「連合の考え方に理解をいただきたい」と強調。さらに「立憲民主党、国民民主党、連合が協力し合って戦える関係をつくっていきたい」と発言した。 しかし、そもそも、立憲民主党が誕生したいきさつ、つまり今日の立憲と国民に野党が分裂したキッカケには、当時の連合会長・神津里季生氏が関わっている。神津会長の後任である芳野会長が、その事実を知らないとは言わせない。野党を分裂させておきながら、今になって「連合の考え方に理解を求め、両党協力し合って」とは、あまりに虫が良すぎる。以下、野党ベテラン議員側近からの特別情報である。 2011年の総選挙で自公に政権奪取されてから小沢先生は、再度、政権交代へ動き始めてきたわけだが、途中、自身が立ち上げた「生活の党」の政党要件が満たせなくなりそうになったときに、山本太郎を引き入れ、やはり野党を統一しなければならないと考えていた。そうしたときに2016年、小池百合子の「都民ファーストの会」の瞬間的なブームとなり、2017年の総選挙に小池百合子自身が、国政への意欲を見せ始めた。当時は、小沢先生は最側近を使って、民進党の前原誠司と交渉に交渉を重ねていた。そもそも民主党時代に、国民との約束であるマニフェストを反故にして消費税増税を決めたのは、菅直人首相と続く野田佳彦首相だった。野田政権下の2011年に、消費税増税について民主党内では、総務委員会で議論された。総務会は喧々諤々、消費税増税をめぐって党内は大喧嘩になった。国民との約束を反故にするわけにはいかないということで、小沢先生のグループは猛反対したわけが、そうした抵抗も虚しく結局、民主党の政策として消費税増税が強引に決められてしまった。その結論には従えない小沢グループは民主党を離党することになった。それが三党合意となって、安倍政権下で増税することとなったわけで、いまだに国民との約束であるマニフェストを無視して消費税増税を決めたことは、野党統一にミソをつけ、尾を引いてきている。 ◆〔特別情報2〕 その消費税増税を民主党の政策として決定した総務委員会責任者が、前原誠司だった。実は、強引に消費税増税が民主党案として総務会で決定してしまったことについて前原は、後に小沢先生に対して頭を下げにきていた。それ自体、遅かりしこととはいえ、しかしそこから再び、野党統一への模索が始まったのだった。小沢先生に詫びを入れた前原は、その後は常に小沢先生とコミュニケーションをとり、週に一度は会食を重ねるなど連携をとるようになっていった。そこへ小池百合子の都民ファーストが小池ブームで大躍進し、その勢いに乗って国政で「希望の党」を立ち上げることとなった。小池百合子と前原誠司は、もとは細川護熙が立ち上げた「日本新党」の仲間ということでもあり、小沢先生と前原の間で、小池新党で野党統一を実現しようと話に発展したのだった。ところが、小池百合子は小沢先生の大同団結を目指す野党統一には同調できず、最後の最後、前原新代表のもと民進党は、党丸ごと希望の党に入ると決めたはずが、その直後の会談に、本来、呼ばれなければならない小沢先生が呼ばれなかったという事態が起きた。後になってわかったことだが、小池百合子は、小沢先生と面と向かうと頭が上がらない。小沢先生を交えた会談となると小池は、小沢先生が構想する大同団結に従うしかない。しかし、小池はどうしても招き入れたくない民進党議員がおり、排除したかった。小池自身、ブームの渦中にあったこともあり、そこは強気に出ていた。既に、会談の日取りは決まっていて、小沢先生としては場所の連絡を受けて出向くだけだった。ところが約束していた会談の当日、場所の連絡を待つ小沢先生と最側近のもとには一向に連絡が入らない。そうこうしているなかで、懇意にしている記者から前原と小池、それから連合会長の神津、この3人が集まってますよ」との情報が届く。そんなはずはないと思って前原の携帯電話に電話をかけてみるが、いくらかけても前原は電話に出なかった。その三者会談を経て、前原とともに公の場に出てきた小池は、「排除」の言葉を発したのだった。 小沢先生は、「希望の党」で小池百合子を国政に復帰させ、女性初の総理にするつもりでいた。しかし、小池は都知事を辞められなかった。そこから小池新党による政権交代へのシナリオの歯車が狂い始めた。あれだけ政権交代は間違いないといわれた「希望の党」が、「絶望の党」となり、民進党丸ごと合流のシナリオも崩れた。小池によって排除のターゲットにされた候補者たちは、枝野を担いで「立憲民主党」を立ち上げ、日本人特有の同情票も集め、選挙では善戦する結果を出したのだった。… … …(記事全文4,113文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)