□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2015年1月30日第91号 ■ ============================================================== 交渉の鍵を握るヨルダン人パイロットの生死 ============================================================== 人質交渉が長期化の様相を呈して来た。 交渉の鍵を握るのはヨルダンパイロットの生死だ。 もしパイロットが既に死んでいるのなら、交渉は間違いなく長引く。 パイロットが死んでいる事が今の時点で明らかにされれば、人質交換交渉はとん挫し、死刑囚の釈放はあり得ず、後藤氏の命も危うくなる。 イスラム国との戦いはエスカレートし、テロの危険性は高まる。 交渉が長引くのは、イスラム国が、そのような事態を避け、あたかも生きているように装って、事態が自らに有利になるように持久戦法をとるためだ。 恥を覚悟で告白すれば、私には人質交渉と言えば苦い経験がある。 レバノンのヒズボラとイスラエルが長引く人質交換交渉をしていたことがあった。 イスラエル兵を襲って三人を人質にしたヒズボラが、それと引き換えに大量のヒズボラ捕虜の解放しようとした交渉だった。 ヒズボラの司令塔であるハッサン・ナスララと面会した私は、その直後に現地メディアから人質の話がナスララの口から出なかったかという質問を受けた。 私は 彼が私に発した、イスラエルの捕虜は客人だ、我々の仲間と同じように丁重に扱っている、という言葉を、そのままメディアにしゃべってしまった。 これがイスラエルの兵士家族や世論を湧き立たせ、一気に人質交渉が再燃した。 捕虜された時に大量の血痕が残っていて、もはやイスラエル兵士は死んでいるに違いないと皆が思い、人質交換交渉は、イスラエル側の諦めとともに頓挫していたのだ。 その寝た子を覚ましたのだ。 その時ほど、私は自らの発言の軽率さを悔いた事はない。 大使の職を失うどころか、命の危険さえ感じたほどだ。 この私の発言が、ヒズボラに不利益をもたらすものなら、私はヒズボラの怒りをかって命を狙われてもおかしくはなかった。 結論から言えば、その逆だったのだ。 すなわちナスララは私の口からイスラエルにメッセージを送ろうとし、私はその策略にまんまとはまったしまったと思っている。 この交渉は、私がレバノンにいる間には進展せず、イスラエル兵士の生死は明らかにされることなく年月が過ぎた。 それから数年ほどたって、私は報道でイスラエルとヒズボラの長年の人質交渉が妥結した事を知った。 棺に入ったイスラエル3名の兵士と、多くのヒズボラ捕虜の交換の形で、人質交渉は決着したのだ。 交渉の妥結にはタイミングというものがある。 その時は、イスラエルも、もはやイスラエル兵の生死より重要なものを人質交渉の妥結から得たということかもしれない。 中東での人質交渉は、我々の想像をはるかに超えた、文字通り国家の生き残りをかけた真剣な駆け引きだ。 あらゆる意味で、中東から遠く離れた、平和に恵まれた日本の想像を超えた国際政治の非情さがそこにある(了) ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

新しいコメントを追加