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天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説

天木直人(元外交官・作家)

天木直人

短編第三作の紹介
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□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2014年6月28日号外 ■   ==============================================================   短編第三作の紹介  ==============================================================    第三作からは、文字通り小説風になります。  そのテーマは、様々な形の愛です。  私は安倍首相には、人として生きていく上での愛が欠けているのではないかと思っています。  愛があれば戦争など起こりようがない。  いまのような政治が行えるはずがない。  それを物語で安倍首相に教えたいと思って書きました。  男女の愛や親子の愛、家族の愛を通して今の日本が直面しているテーマに迫ったつもりです。  人通りの中で、あるいは多くの人が集まっている場所で、ひとはたびたび次のような光景に出くわすことがある。  「あんな男とこんな美人がどうしてなんだ・・・」と。  もちろんその逆もある。  「あんな女がなぜあんなハンサムな男を連れて歩いているの・・・」と。  自分の器量を棚に上げて、人はそう思うことがある。  そして、ひとはまた、他人のものはよく見え、どうしても手に入れたいと思うことがある。  そこに、本人だけしか知らないわけがあるというのに。  これは、そういうお話である。  ミストラル  片桐洋子は40代半ばの平凡な主婦である。  少しつけ加えると、東京下町の従業員30人ほどの古い町工場の社長である片桐和助の歳の離れた妻である。  18歳を過ぎた時に、20ほど年上の和助と結婚し、今に至っている。  社長夫人といえば聞こえがいいが、潰れかかった町工場の親方の妻であると言うだけで、その工場を裏から支え、身なりをかまわず毎日働く洋子だった。  そんな洋子にたったひとつ、決して人には負けない非凡なものがある。  それは天性の美貌と、男を魅了してやまない、スタイルのいい体である。  実際のところ、世の中は容姿に関しては、いや、容姿に限らずあらゆる点で、まったく不平等だ。  洋子は、人もうらやむようないい体をしている上に、このうえない美貌を持って産まれた。  その美貌は、若くして近所の異性の子供たちの評判になり、大人になっては、すれ違う男を思わず振り向かせてしまうほどだ。  だからその町工場の従業員の中ではみなが言いあっていた。  「よくあんな親方が、あんなきれいな人を・・・」  「よくあんなきれいな人が、あんな親方と・・・」 と。  その噂は町工場の中だけではない。  その町工場のある下町界隈でひろくささやかれていた。  しかし、そんな話もやがてたち消える。  そんな噂がそれ以上、下世話ばなしに発展しないのは、主人の和助が実直で凡庸なお人好しということもあるが、洋子が誰にも愛される明るい性格であったからだ。  実際のところ、洋子が持って生まれた最も大きな武器は、その美貌よりも、誰もが愛さずにはおれない、その天性の性格のよさなのかもしれない。  そんな洋子も、しかし、その生い立ちは悲しく、不幸なものだった。  長野の小さな運送会社の運転手を父に持って生まれた洋子は、ほとんど父の顔を知らない。  競争の激しい運送業界にあって、洋子の父は、毎晩のように遠距離運転を強いられ、いつも留守がちであった。  やがてそんな父の空白を埋めるため、母は浮気を繰り返すようになり、ある日、洋子を捨ててほかの男と駆け落ちをした。  父は失意と過労で体をこわし、職を追われ、やがて酒浸りとなって、洋子がまだ幼い頃にこの世を去ってしまう。  洋子の両親はこれといった身よりもなかったとみえて、たまりかねた近所の素封家に引き取られて、感情が揺れ動く少女期を、子供心に肩身の狭い思いで過ごしたのだった。  洋子はものごころがついたとき、心に固く決めた。  中学校が終わるまではお世話になろう。  そしてその後は、お礼をして、許しを乞うて、東京に出て一人で暮らそうと。  そのあとはおきまりのコースだ。  すでにその時、ひとより大きく見えた洋子は、年齢をごまかして給仕や販売などの職を転々とし、18になるや、パブやクラブのホステスに職を求めた。  洋子が和助と知り合ったのはそんな時だった。  どこへ行ってもたちまち人気者になった洋子は、引き手あまたで、三月も経たない内に、次々とよりランクの高い店に引き抜かれ、銀座の高級クラブ「蘭」の新参ホストにスカウトされたばかりだった。  そこは東証一部に名前を連ねる大手企業が接待に使う場所で、各社の中堅営業部長が連日店を賑ぎわせていた。  町工場の社長と言っても社長だ。  営業部長たちは和助をだしにして接待と称し、洋子に会いに社用で「蘭」によく来た。  洋子が皆を驚かせたのは、和助が営業部長らから、「蘭」につれて来られてから、わずか一週間後だった。  洋子はいきなり店をやめると言い出した。  そして和助と結婚すると言ったのだ。  一番驚き、引き留めたのは「蘭」のママだった。  やっと手に入れた稼ぎ頭の金の卵だ。  「洋子ちゃん、いくらまわりの娘たちのやっかみや、いじめがひどいといっても、ここでやめたら負けよ。女の子たちはいつもそう。でもね、あの娘たちもすぐに別の娘と喧嘩を始めるわ。子猫の悪ふざけのようなものよ。それをまとめるのがママの私よ。大丈夫・・・」  「ママさん、ありがとう。そんなことではありません」  そういう洋子の言葉を聞かず、ママはさらに続けた。  「男たちの酒の相手をすることは、若い女の子にはつらいことや、いやなことかもしれないけれど、男なんて本当は愚かでかわいいものよ。偉そうにしている男ほどそう。適当にいなしておけばいいの。女には勉強になるわ。あなたのようなかわいい娘はそのうち必ず玉の輿が見つかるって・・・」  そこまでママが言い及んだ時、洋子は言った。  「私、和助社長がいいんです」  そこまではっきり言われたら、さすがのママも引きとめる事はできなかった。  そしてそれを素直に祝福した。  ママもまた洋子の人柄にほれていた一人だった。  ママが洋子を引き留めたのは、もちろん「蘭」の将来のためであった。  しかし、洋子の為を思ってでもあった。  実際、洋子のホステスとしての将来は、ママの目から見れば約束されているようなものであった。  「そうだったの。それならはやくそれをいってくれなくちゃ。残念だわ。洋子ちゃんのようないい娘が来てくれて、ママも張り切っていたのに。でもね、女は結婚することがやはり一番いいことよ。お幸せに。それにしても・・・洋子ちゃんて、若いのに変わっているのね・・・」  これはママの率直な思いだった。  確かに洋子には、その明るさの裏に謎がある女だった。  和助と洋子の組み合わせが謎である以上に、本当の謎は洋子自身の中にあった。  それから20数年たった。  20数年と言えば長い。  産まれた赤ん坊が大人になってもお釣りがくるほどだ。  しかし、人はみな振り返って感じるだろう。  20数年でさえもあっという間であったと。  それは、充実した毎日を送っていたからあっと言う間にすぎたのではない。  波瀾万丈の人生だったから時の経つのを忘れたのでもない。  どんなに無駄な時間ばかり過ごしていても、何の成果も上げられず日々に埋没する生活を送っていたとしても、時は平等に過ぎ去って行き、そしてそれは振り返ってみればあっという間なのだ。  洋子が和助と結婚し、町工場で働くようになってすごした20数年の歳月は、洋子がそれまで生きた18年の悲しく、過酷な人生に比べ、はるかに平凡で幸せで長い歳月だったけれど、過ぎ去ってみればついこのあいだの事のように思えた。  洋子が和助と結婚したばかり時は、まだ和助の父、つまり先代の創助が陣頭指揮をとり、戦前からの財閥の人脈を活かして、この町工場は勢いがあった。  しかし、和助に譲り、やがてこの世を去ってからは、その町工場は斜陽の一途をたどりはじめた。  洋子が和助と結婚したときはまさにそんな時だった。  もっとも、町工場が衰退していったのは和助のせいばかりにするのは酷である。  過当競争の波にもまれ、たび重なる金融危機もあって需要が落ち込む一方だった。  いまではIT化の波のあおりで、ますます厳しくなっている。  そんな町工場がなんとか今日まで持ちこたえられたのは、洋子が和助の妻だったからに違いない。  洋子は中学卒の娘だ。  しかし常識が働き、物事を見極める勘がある。  気配りばりができ、なによりも誰からも慕われる性格だ。  それに、洋子は向学心が強かった。  和助の妻となって、簿記や経済のことを独学で学び、中学でならった英語に異国を思い、それに飽きたらず大人になってフランスの詩に惹かれて、子供がまだ小さい頃、和助にせがんで一人フランスの南部の片田舎で一月ほどホームステイしてフランス語を学ぶ行動力があった。ほとんど身につかなかったけれど。  洋子がこの町工場に貢献したとすれば、おそらくその持ち前の行動力とこの国際性であろう。  この町工場には、ほかにはない特殊な技術があり、創業者の創助からその特許を大切に引き継いで来た。  洋子にはその価値については詳しくはわからないのだが、持ち前の勘の良さで、先代が取得し、いまでも大手企業が競ってほしがるその技術を大切にした。  洋子はその技術を受け継ぐ若い職人をかわいがり、その技術を高く売り込んで収益の柱にすべきだと和助に言い続けて来た。  そしてその技術の売り込み先は、日本の大手企業だではなく、その大手企業が相手にする世界の需要者に直接販売すべき事にも挑戦すべきだと考えていた。  そうすることによって少しでも収益を高める事ができる。  みなにやる気を起こさせる。  そして、その収益を皆に配分して、職員全員が恩恵を受け、職員が一体となって町工場をもり立てていく。  小さな町工場が生き残るにはこれしかない。  そう洋子は和助にいつも言い続けてきた。  もちろん和助もそれに異存はない。  洋子は渉外ができるような若い職員を育て、みずからもつとめた。  しかし、そのような素人の知恵だけでは、町工場の衰退はくい止められず、いつかはこの町工場も閉鎖せざるを得ない状況に追い込まれる事は見えていた。  そんな時だった。  洋子が日本最大の大手企業であるの大日本興業の海外本部長である大川剛に声をかけられたのは。  あれは大川剛が北米総局長から本社の営業本部長に凱旋帰国した就任記念パーティの席であった。  都内の一流ホテルの大広間を借り切ったそのパーティには、内外千名を超える各界の代表が夫妻で招待されていた。  そのパーティに招待された和助は、出席したまではよかったが、人混みに圧倒され、話す相手もないまま壁に並べられた椅子に腰を下ろして焼酎を飲むしかなかった。  話すことも、することもなく、勢い焼酎の量が増える。  大川の挨拶がはじまらない内に顔面を真っ赤にしていた。  一方の洋子は、ひとの中にとけ込んで話し続けている。  もと人気ホステスの本領発揮だ。  その存在は光を放ち、人の目を引かずにはおれない。  男性の視線が集まるのは当然としても、女性の洋子を見る目はすさまじかった。  洋子は普段は決して化粧はしない。    その日もかすかに白粉をふり、目にラインをいれ、薄く口紅を引いただけであったが、だれよりも豪華な化粧をしているように見えた。  服装は百貨店の特売日に売られているどこにでもあるものであったが、その11号のドレスは大柄の洋子の体を見事に包み、その胸とくびれた腰と、張りのあるヒップを浮き立たせていた。  大川剛がそれを見逃すはずがない。  帰国報告と就任の挨拶を、ユーモアをまじえて巧みに終えた後、大川は壇上から降りて賓客を、美しい愛妻とともに次々と回り、会場をくまなく歩き、どんな客にもひとり、ひとり丁寧に対応して行った あと、洋子のところへ近づいた。なにげなく最後に到達したように見せかけて、しかし計画通りであった。  海外勤務の長い大川は、さながら外交官のようにそつがない。  実際のところ、大川は世界のビジネス界の中でも、いや、日本の各界のなかでも評価され、受け入れられている、将来を嘱望された人物だった。  あえてその欠点をあげれば、野心を追い求めるエネルギーが大き過ぎるとうところだろうか。  いったん欲しいと思ったものは、手に入れないと気が済まないというどん欲さが人一倍、いや、二倍も三倍も強かった。  しかし、だからといって、それを表に出して人に嫌悪感を抱かせたり、警戒させたりしない。  そういうスマートさも、大川は持っていた。  2時間ほどの盛大なパーティも終わりに近づいた時、やっと洋子のほうに方向を向けて近寄って来た大川に洋子は気づく。  あわてて和助を呼ぼうとしたが、そのとき和助はすっかりできあがっており、おぼつかない足取りで立つのが精一杯だった。  いきおい洋子がひとり対応することになる。  「片桐製作所です。大日本興業様にはいつもお世話になっております」  和助にかわって挨拶をする洋子に大川の妻の視線がするどく刺す。  「ああ、テンカイッピンという特許をお持ちの会社ですね。あの技術は自動車部品に欠かすことのできない世界的な特殊技術です。こちらこそ助かっています」  即座にそう切り返すところが大川らしい。  もちろん事前に周到に調べ上げた上でのセリフであるが。  その場は、それで終わった二人であったが、そのとき二人は、はっきりとお互いの視線を見つめ合っていた。  大川から洋子のところへ連絡があったのはそれから1週間ほどたった昼下がりであった。  工場の洋子しかとらない直通電話に大川はみずから直接かけてきた。  和助は大日本興業の本社で夕刻まで打ち合わせをすることになっている。  なにからなにまで調べ上げた上でのことだ。  「大川です。至急ご相談したいことがあり、いますぐ銀座まで出かけてくることができますか?」  さすがの洋子も一瞬驚いたが、こういう時がくることは持ち前の勘で予想はしていたので、その後の対応は素早かった。  時計を見ながら洋子は答えた。  「3時頃、銀座近辺ならなんとか間に合います。でも時間は30分ほどしかとれません。夕刻には和助が帰ってくる予定ですから・・・」  これも大川にとっては計算通りである。  下町から地下鉄でも10分ほどで来ることはできる。  銀座は洋子にとってはなじみのはずだ。  高級な場所ではなく、あえて人混みの多い、それでいて客がいつもそう多くない、皆が知っているしゃれた喫茶店「R]をあえて指定して、大川は3時少し前から待った。  大川は外国生活がながい。  私的な事は秘書や会社の人間をいっさい関与させず、自分でなんでも行う。  それでいて常に、連絡はとれるようにしている。  たとえあのときの最中でもだ。  「お待たせしました」  洋子は3時きっかりに現れた。  大川はネクタイをつけずに、白い襟高のシャツを大きく開いた上に紺の上着を羽織ったラフな格好だ。  一方の洋子は黄色のワンピース姿である。  どこから見てもお似合いの大人のカップルだ。  少し目立つが、昼間の銀座には違和感はない。  「時間が30分くらいしかとれそうもありませんので・・・」  警戒して切り出す洋子の戸惑いを見透かすように、大川は洋子の目を見つけてストレートに伝えた。  「承知しています。洋子さん、っておっしゃいましたね?」  「私はあのパーティの夜あなたをはじめて見たときに確信しました。いつかはおなたと愛し合うことになると・・・」  洋子はやはりと思った。  驚きはしなかったが、大川からいきなりここまではっきり打ち明けられた事が洋子の心を揺さぶった。  若い頃から同じような言葉を無数の男からかけられれてきた洋子は、この手の言葉にはほとんど動じないが、このときはじめて女の恥じらいと欲望を感じた。  「無理とはいわない。私は相手の女性が納得できない性愛の求めるほど野暮ではない。私の思いを伝えたかっただけです・・・」  そいう言ってさらに大川は続けた。  「こんな事を言えば間違いなく洋子さんを失うことになるが、片桐工場を大日本興業の子会社としていずれ買収し、あの技術を生かして世界の上場企業にさせたいと思っているのです。    これは「性愛」の対価では決してありません。あの町工場は大日本興業の資本力と技術力と海外展開網を持ってすれば、立派な国際企業に飛躍できる。そうすれば和助さんも洋子さんも、従業員のみなさんも・・・」  そう言い及んでところで洋子は丁寧に、しかしはっきり答えた。    「おこころざしはありがたく受け取らせていただきました。しかし、お気を悪くなさらないでください。私にはそれを受け入れるつもりはありません。それは不潔だとか部長が嫌いだとか、体で代償を求めるやり方の本部長を見損なったということではありません。むしろそこまでストレートに男の欲望を女の前でぶつける本部長に男らしさすら覚えます。でも私、そのような話はとっくに卒業しました。工場の展開のことは従業員にとっては大変名誉な事ですが、私はそれを好機に仕事から離れ、和助との二人の人生を歩もうと決めているんです・・・」  これはそのときの洋子の率直な気持ちであった。  確かに洋子の心は大川との「性愛」に、ほんの少し傾いた事は事実であった。  こんな気持ちになったのはもう20年ほども昔のことだ。  女は踏み切る時は勇敢でも、踏み切るには恥じらい、臆病で、あっさり踏みとどまる淡泊さをあわせ持つ。  その時の洋子がそれであった。  大川は見事に振られたのだ。  洋子は大川に暇乞いをして喫茶「R]を後にした。  ここまですべてをストレートに洋子に打ち明け、それで断られたとしたら、大川といえども後追いはしない。  それが大川だった。  そして大川は、必ずもう一度、いつか洋子から、連絡があると、自信を捨てなかった。  これまた大川らしいかった。  洋子にはひとり息子の和洋がいた。  和助の和に洋子の洋をとってつけ安易な名だ。  洋子がつけた。  和助は一人息子というのに、そのあたりは無頓着で、子供をひたすら可愛いがるだけで、面倒も教育もすべて洋子まかせだ。  名前を付ける時も、洋子に言われて、いい名前じゃないか、の一言で了承した。  たしかに安易な名前だ。  しかしつけてみて、そして素直に育つ和洋をみて、本当に言い名前だと洋子は気に入っていた。  平和な大海原に羽ばたいてほしい。  この日本から離れて、世界へいて欲しい。  なぜ洋子がそう思うのか。  それは洋子の最後まで誰にも明かさない謎であった。  洋子は、ただそれだけを祈って、和洋を信じて、自由に育てた。  人のいやがることだけはしてはいけない。  むやみなあらそいはしてはいけない。  なんでも好奇心を持って挑戦し、自分の信じるものに忠実に元気に育ってほしい。  ただそれだけだった。  いや、もう一つ、人を決して差別してはいけない。  そして和洋は見事に洋子の期待に応えて育った。  和助は町工場を継いで欲しかったが、洋子は町工場は和助で終わりにして、従業員の中の優秀な者に任せるべきだと考えていた。  高校をでた和洋はアルバイトでためたお金で米国へ留学するといって家を出て行った。    洋子はそのとき、これで和洋は自分から自立したと思った。  そして本当に、和洋が洋子のもとから、永遠の自立する時が来るのはそれから数年ほどたってからだった。  米国の大学で自然保護や環境学を学んだ和洋は、おなじ勉強仲間の米国人の女の子のパートナーになって、卒業後は国連職員となってマレーシアの熱帯 雨林の保存のためにそのパートナーと一緒に赴くという。  その途次、日本に立ち寄った和洋は、和助と洋子のもとでしばしの時をすごした後、いま成田からクアラルンプールに飛び立とうとしていた。  それを洋子は見送ろうとしていた。  こんどこそ本当に飛び立っていくのだ。  洋子にはそれはよろこばしい事だった。  日本が嫌いというわけではない。  しかし、洋子にとっては日本は、やはり生きるには厳しい社会だった。  日本は平和で自由で民主的に見える。  人もいい。  しかし、同時に閉鎖的で差別的な社会だ。  仲間でいる限りやさしく過ごしやすい。  しかし、いったん和を乱したり、暗黙の了解に反するような言動をすると、手のひらを返したように疎外される。  それは洋子にとってつらいことだった。  競争社会であり、しかもはじめからハンディをつけられた競争社会だ。  所得格差があり、階級格差があり、そしてなによりも・・・  出発時間の呼び出しが流れ、いよいよ和洋は出発ゲートに向かわねばならなかった。  「お母さん、ありがとうね。また元気でどこかであおうよ」  感傷もなにもない明るい声で語りかけた。  洋子もそうだ。  明るく送りだそうと和洋の背中に向けて声をかけようとした、そのとき、  振り返った和洋が少し近寄ってきて尋ねた。  「どうしてお父さんなんかと?」  今までさんざん尋ねられてきたことだ。  はじめて和洋から洋子へ発せられた言葉だ。  和洋が洋子に投げかけたその言葉は、しかし、世間が噂する時の言葉とは、少し違っていた。  お父さんはいい人だ。  自分も好きで、そんなお父さんとお母さんの間に産まれ、育てられてよかった。  でも、お母さんなら、もっと偉くなるような人や、恰好いい人はいくらでも手にはいったのに・・・何かきっとお母さんの事だから、もっとはっきりした理由が、あるからだ、最後に僕だけに教えて、そう問いかけていたのである。  洋子はそれを察知した。  そして話始めようとした。  「そうね、お母さん、子供のころからふつうの結婚はあきらめたの。といってもお父さんがふつうじゃないっていう意味じゃないのよ。この人なら何でも許してくれるって、最初にあったそのときに思ったの・・・」  そうして、その後に、洋子の本当の謎を語ろうと覚悟を決めた、そのとき、搭乗のアナウンスが流れ、「ごめん、その続きは今度会った時、聞かせて。急がなくっちゃ」、そういって今度は振り向かずに、和洋は、ゲートの中へ消えて行った。  洋子が大川と銀座の「R]で会ってからかれこれ一月がたとうとしていた。  そしてふたりは再び逢うことになる。  そして、大川が確信していた通り、今度は洋子のほうから連絡をした。  和洋が飛び立って行くのを見届けた洋子は、踏み切ったのだ。  あれ以来、大川から洋子へはいっさいの連絡はない。  大川らしい。  そんな大川へ洋子から突然連絡が来たのだ。  「大川本部長、洋子です。いつ、どこへ行けばお逢いできますか?」  あのときの大川の誘いに対しする承諾の返答だった。  指定された場所と時刻は、地下鉄都営線白金台の駅を降りてなだらかな坂を下ったところにあるホテルMのスイート1014号であった。  最近できたこの外資系のホテルは、雰囲気のよい豪華なホテルだが、少しへんぴな場所にあるので、混みあうことは少なかった。  その日、洋子は和助に久しぶりの同窓会があるといって出かけた。  和助はいつものように何の疑いもなく、まるでうわの空で聞くようにして洋子を送り出した。  その日洋子は、はじめて濃いめの化粧をした。  そしてお気に入りの赤いロングドレスを着て、それを隠すように、季節は5月になるというのに、薄手のコートを羽織って出かけた。  あのときの大川からのプレゼントを少しだけふりかけて。  香水はつけすぎると誰も同じにおいになるが、少量だと、つける女性の体温や体質の違いで、ひと、それぞれ微妙に違ってくる。  あのとき大川はそういって洋子を口説いた。  そんなせりふは、さんざん聞かされきた洋子は、そのときは笑って受け取ったが、いままさにそれをつけて大川を誘おうとしているのだ。  もちろん、それは大川のためではない。  町工場の将来のためでもない。  自分自身のためだ。  洋子は、はじめてこのとき女になった。  薄幸な星の下でうまれた女の子が、その持ち前の美貌と天性で自分の人生を切り開いていく。  助けてくれたのは近寄ってくる男たちだった。  つらく、いやな体験も数限りしたが、すべて男は味方であり、やさしく、おろかで、利用できた。  愛すべき男もいたし、好きになった男もいた。  しかし洋子が女の本性を開いてその心と体のすべてを捧げた男はいなかった。  見つけようとしなかった。  洋子は、まだ幼い頃ひきとられた先で知らされた自分の出自を、こどもごころにさとって、「あきらめ」の人生を自らに課して生きていく決心をしたのだ。  そりゃ、私もシンデレラになりたかった。  でも私は、日本という差別社会ではガラスの靴は履けない・・・  その少女がいま王女となって王子と対等のまことの愛を、みずから進んで交わそうとしているのだ。  ノックして部屋にはいると、大川が部屋の中央に微笑んで立っていた。  そこから先は言葉は要らない。  洋子はゆっくりと服を脱ぎ始め、やがてすべてを脱ぎ去って裸足で大川の前に立った。  きれいだ。  裸足でたって168センチあるその体は、長身の大川には不足なく、抜けるように白く、服をまとっていたときは気づかないほど豊かで張りのある乳房は、若々しくそりあがっている。    これが俺のものになる。  大川は、はじめてそのとき欲しいものをついに手に入れた征服感を味わった。  男が女に感じる「性愛」の喜びの一つは、まさにこの制服感に違いない。  男が誰しも欲しがるこんな美貌でいい体を持っている女を、これ以上ない美しい女を、これ以上ない恥ずかしい姿にさせて歓喜の涙を流させる。  大川ならずとも、男はみなそういう欲望を抱きながらその人生を送っているに違いない。それが可能かどうかは、別としても。   「こんな恰好で、恥ずかしい・・・」  そういって手をかざそうとする洋子を遮って、愛することに不潔も恥ずかしいもない、すべては美しいのだ、といって大川はやめなかった。  男は女を征服し、女もまた好きな男に制服されたいと願う。  今夜がその時だった。  洋子が、その出自をはじめて忘れ、対等になって男を感じ、その男を、洋子のほうから愛することで、自らを解放する喜びを、初めて洋子が感じた夜だった。  「もうこんな時間になっちゃった、帰らなきゃ」  さきに現実をとりもどしたのはやはり洋子だった。  大川が気づいたときは洋子はすっかり帰り支度を終えていた。  どこからみても何もなかったような手際のよさだ。  大川は言った。  「もっとはやく洋子さんとめぐりあっていたら・・・約束は必ず守る。お願いだから今夜の事は・・・」  大川がはじめてみせた弱みであった。  いまの大川はスキャンダルはすべてを奪うことになる。  「私は約束と引き換えに来たんじゃないの。それに秘密を守らなければならないのは私のほうよ。あなたにも決して知らせない秘密を・・・ありがとう」  そうほほえんだ洋子はさっそうと地下鉄の駅に向けて歩きだしていた。  「まだ終電車には十分余裕よね・・・今夜の出来事は、一瞬だけ、私の体を通り抜けたミストラル・・」  そう独り言をつぶやきながら背筋を伸ばして急ぎ足で歩く洋子の後ろ姿は、この上ないさわやかなものであった。  そう、和洋さえも聞きそびれた洋子の謎が、突然吹いた南仏のミストラルと一緒に、空のかなたに吹き飛ばされ、こなごなに消えてしまった夜であった(完) ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 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