□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2012年4月19日第321号 ■ ========================================================= 山本正(やまもと・ただし)氏の訃報に思う ======================================================== 公益財団法人「日本国際交流センター」理事長の山本正氏の死去 が報じられたのは4月16日の各紙であった。 享年76歳であった。 この山本正氏の逝去を知って日米関係の一つの歴史が終わったと 感じる人は日米政治史に通じた人だ。 山本正氏の死去を伝える紹介欄には民間ベースの日米交流に尽力 した人とさりげなく書かれているだけだ。 しかしその実体はそれ以上のものがある。 戦後の日米関係を語る時、日本に影響力を及ぼす活動を引き受け る米人をジャパンハンドラー(日本をあやつる者)などと警戒心 をこめて呼ぶことがある。 その言葉を使うとすれば、山本正氏はジャパンハンドラーたちの よき相手(カウンターパート)の草分け的存在であった。 私がまだ駆け出しの70年代のはじめごろは、外務省幹部なども 日米両国の政財界の有力者や学者ジャーナリストに幅広い人脈を持 つ山本正氏を、まるで日米関係の守護神のようにあがめていた。 欧米の支配者たちのあつまるビルダーバーグ会議への日本の参加を 打診したが断られたため、デビッド・ロックフェラー氏がそんな日本 のために1973年に創設したといわれる「日米欧委員会」の日本側 事務局長を務めたりしている。 その山本正氏の功績もあってか、今では日本の対米従属はもはや 完成の域に到達しようとしている。 野田民主党政権が日米同盟の深化の為に訪米する、その姿を見届 けるかのように静かに舞台を去っていった山本正氏の訃報は象徴的だ。 そしてその山本正氏の訃報をどのメディアも一段の小さな記事で 終わらせてしまった事も、時代の変化を象徴するのに十分であった。 もはや誰も山本正氏のことなど関心はないのだ。 そんなメディアのなかでただ一人この山本正氏の死去を大きく記事 にしたメディアがあった。それが朝日新聞だ。 すなわち朝日は4月16日の紙上で山本正氏の死去を大きく取り 上げ、その功績を讃えている。 加藤紘一元自民党幹事長に「山本さんのおかげで外交問題に目を 開いた日本の政治家は少なくない」と語らせ、玄葉外相に「余人を 持って代え難い人で、日本外交にとって大きな痛手だ」と語らせて いる。 極め付きは翌日4月17日の「山本正さんの死を悼む」と題する 船橋洋一前朝日新聞主筆の追悼記事だ。 初めて山本正氏に会った70年代半ばから山本氏は自らの師である と言わんばかりに賛辞を送っている。 米国CIAの名簿に奈を連ねていると噂される船橋洋一氏をして 恩人と言わせているのだ。 日米同盟最優先の朝日の正体が見事に証明された山本正氏の死去 である。 了 ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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