□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2011年3月27日発行 第205号 ■ ================================================================== 日本国民はそれでも原発を許す事になるのだろうか ================================================================== きょう(3月27日)の東京新聞が、福島原発事故を受けて26日 ドイツの主要都市で反原発デモが行われ、首都ベルリンでは約10万 人が参加したというニュースを掲載していた。 その他の主要国も原発見直しの議論再燃は必至であるという報道が 連日各紙に見られる。 ひるがえって日本はどうか。 原発事故と闘っている最中であるからなのか。 原発事故が一段落すれば議論が起きるのか。 あるいはメディアが報道しないのか。 原発事故を起こした日本において反原発の動きが国民の間で起こら ないとすれば、我々はこれをどう解釈すればいいのだろうか。 今後の原発推進の是非について対照的な二つの意見が私の注目を惹いた。 一つは3月27日に放映されたTBSの時事放談で、元建設官僚で岩手 県知事、総務大臣を歴任した増田寛也氏が語った次の言葉だ。 原発は必要だ。しかし今度の事故で住民の反対は強まる。だからこそ 民間企業に任せるのではなく国家がそれを管理・運営していかなくては ならない、と。 究極の原発推進発言だ。 その一方で3月26日の毎日新聞「時代の風」で加藤陽子東大教授 (歴史学)が「原発を許容していた私」という見出しの寄稿文で次の ように語っていた。 すなわちあの戦争を「許容していた」という反省から、「俘虜記」、 「レイテ戦記」などの作品で反戦を訴え続けた作家大岡昇平の例を 引用しながら、私は原発を許していた。温暖化の切り札として、 インフラ海外輸出の柱として、そしてオール電化の安全性として、原発 是認の声は説得力があった。しかし今度の事故で目覚めた。敗戦の総括 が自力でできなかった日本ならば、せめて原発事故の誤りを繰り返して はならない、と。 強力な反省である。 私の反省でもある。 私は日本国内で反原発の気運が広がるとすれば、それはまさしく日本の 指導者達のなかから、「私は原発を許容していた、しかしいまやその誤り に気づいた。原発は人間性に反する事に気づいた」とカミングアウトする 者が出てくる時であると思っている。 小沢一郎が原発推進者だったという話が小沢批判者側から流されている。 たとえそうだったとしても小沢一郎は言い訳をする必要はない。 小沢一郎は加藤陽子を見習えば良いのだ。 たしかに私は原発を認めていた。しかしそれは誤りだった。人間と共生 できるエネルギー開発の重要性に気づいた。 そう宣言すればいいのだ。 菅首相よりも先駆けて、いやどの保守政治家よりも先駆けてそう宣言する 事によって日本は変わる。 果たして小沢一郎はその事に気づくであろうか。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)