… … …(記事全文7,100文字)独裁化を推進したイェルマーク長官
11月28日(金)にウクライナ大統領府のアンドレイ・イェルマーク長官が辞任し、このことが世界中で話題を呼びました。ゼレンスキー氏はイェルマーク氏とは大統領になる前からの付き合いで、法律事務所を運営し、映画プロデューサーなどを務めていたイェルマーク氏を2019年の大統領就任後に大統領府長官に抜擢したのはゼレンスキー氏本人でした。本来、大統領府長官という役職の人物が表に登場するのは稀です。
実際、ロシアの大統領府のアントン・ヴァイノ長官(※写真)のことを知っている人はほぼいないと思います。ヴァイノ長官は2016年から長官を務めており、ロシア安全保障会議の常任理事で、かつロシア連邦評議会(上院)議員でもあります。しかしヴァイノ氏がメディアで取り上げられることはほとんどありません。大統領府の長官というのは、ヴァイノ氏のように大統領を影で支える存在なのです。そういう意味でイェルマーク長官の露出度は異例とも言えました。
私はこの特別軍事作戦が始まって以来、イェルマーク長官の動向を追ってきました。なぜなら、彼が事実上キエフ政権を動かしていると理解していたからです。当初は余りその存在が目立ちませんでしたが、バイデン政権が終わりに近づき始めた2024年頃から表に出てくるようになってきました。特に、2024年4月17日に米国の雑誌「Time」が「世界で最も影響力のある100人」として彼を紹介したのが象徴的な出来事でした。
その年、ゼレンスキー氏はこの100人の中に入っていませんでしたので、あたかも当時のバイデン政権が「今後のウクライナはイェルマーク氏の時代となる」と世界中に宣言したかのようでした。
イェルマーク長官はゼレンスキー氏とその体制を守るために独裁体制を敷き、政権の人事権を掌握、そしてウクライナ保安局(SBU)を使い反体制派を逮捕・拘束し、牢獄に入れ、更に立法機関のウクライナ最高会議では数多くの議員らを買収し、政権与党「国民のしもべ」党のダヴィド・アラハミア党首の権力を弱め、議会までも事実上の支配下に置いていました。今年に入り、ロシア軍のクルスク奪還など、戦況が悪化するにつれ、彼は独裁体制を強化し、SBUに代表される治安機関関係者(シラヴィキ)を増員。反体制派や軍部などからの反発を力で押さえつけるようになっていました。
しかし米国の傘下にあるウクライナ国家汚職対策局(NABU)やウクライナ反汚職専門検察庁(SAP)までは、押さえつけることが出来なかった。正確に言えば、今年の7月にこの政府から独立した機関を、ウクライナ最高検察庁の管轄下に置き、掌握しようと法改正を行ったものの、米欧の怒りを買い失敗しました。振り返れば、今年7月のこの作戦の失敗が、今回のイェルマーク氏の辞任へと直結したと言えるでしょう。
このことからハッキリと言えるのは、今のウクライナは明らかに「主権国家ではない」ということです。もし「主権国家」であったならば、このイェルマーク氏のNABU/SAPの押さえつけは問題なく完了出来たはすです。
辞任後2日間の動き
さて、28日(金)のイェルマーク長官の辞任発表後のウクライナ国内の動きですが、イェルマーク氏の宿敵「国民のしもべ」党のアラハミア党首は(※写真)、イェルマーク氏の辞任を受け、28日に「ゼレンスキー氏にとっての関心の一丁目一番地は、国益であることを示した。我々は彼と同じチームとしてこの決定を支持します」とコメントしました。




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