… … …(記事全文3,571文字)家電の「早川電気工業」が「シャープ」に商号変更したのは1970年のこと。
筆者の祖父は「昔はシャープが早川電機だったんだよ」って生前によく言ってました。
現在は台湾の鴻海精密工業に買収されてしまいましたが、個人的にはこの会社の創業者、故・早川徳次氏が大好きです。
理由は着想が独創的で常に未来を見据えていたからです。
教わって覚えたモノは浅いけれど、自分で苦しんで考えたことは深いんですよ。
早川 徳次
この人、本当に苦労人で、幼少期に実母を病気で失い、養母に引き取られますが養母も急逝、
継養母に育てられますが満足に食事も与えられず、小学校も2年で辞めさせられ、内職を手伝わされる日々を送ります。それを知った近所の盲目の女性が、錺(かざり)職人の丁稚奉公を世話することになります。
この錺屋の奉公で培った金属加工技術が徳次少年の一生を変えてしまいます。
徳次少年を虐待継母から引き離し、職人に紹介した盲目の女性は徳次少年の恩人になります。
7年7か月の年季奉公を勤め上げ、その後、1年間のお礼奉公を終えて徳次少年は一人前のかざり職人となります。
18歳の早川徳次さんは浅草で見た映画から着想を得て(長く垂れたベルトがあまりに不細工)、穴のいらないベルトのバックル「徳尾錠(とくおじょう)」を発明します。
現在でも作業服などでよく見かけるベルトのバックルはこの人の発明品です。
※徳尾錠 登録実用新案第25356号第123類(1912年9月19日登録)
徳尾錠は自分の名前「徳」の字と、親交のあった発明家・尾形亀之助の「尾」の字を組み合わせたもので、発明家の名前を入れたあたりに徳次さんの性分が理解できるような気がします。
このバックル、好みの位置で無段階に締められる画期的な構造で好評を博し、33グロス(4752個)の大量受注が舞い込み、これを機に独立することになります。
東京市本所区松井町(現・東京都江東区新大橋)に金属加工業を設立。
大正元年には水道の蛇口の向きを変えられる自在栓を改良し、取り付け部品を9個から3個にして、取替作業を大幅に短縮(20分➡1分)できるようにした自在水栓(5号巻島式水道自在器)を発明します。
当時の水道はほとんど共用水道で、契約者は使用の都度、水栓金具を取り付ける必要があったのです。
なぜ巻島なのか。巻島喜作さんの依頼で考案したかららしいです。
普通の発明家なら早川式にしますよね。
大正3年には結婚、、自分が幼少期に他家の養子に入ったこと、実の両親が既に死亡していることを知り、早川家に復姓、生き別れの兄姉と再会します。兄の政治(まさはる)さんと一緒に仕事をするようになり、徳次さんが製品開発、政治さんが販売を担当することになりました。「早川兄弟商会金属文具製作所」の設立です。
大正4年(1915年)には、金属製繰出鉛筆(早川式繰出鉛筆)を発明します。
それまでの繰り出し鉛筆は軸がセルロイド製で壊れやすく実用的ではありませんでした。
早川さんは内部を螺旋構造にして軸を回転させると細い芯(太さ約1mm)が出入りするように改良、彫金技術を活かして万年筆のような金属製(ニッケル)の高級感のある物に仕上げました。
当初の国内販売は和服に合わない、金属が冷たいなどと不評でしたが、アメリカで爆発的人気となり、横浜の貿易商から大量注文が入りました。
早川さんは軸を1mm、芯を極細にして軽快に出し入れできるものに改良を重ね、天冠を4分の1回転で芯繰り出し、全回転で芯交換、天冠内には消しゴムを付属させました。
『エバー・レディ・シャープ・ペンシル』(常備芯尖鉛筆)”Ever‐Ready‐Sharp Pencil”と改名し、その後、略して「シャープ・ペンシル」とネーミングしました。
私たちが学生の頃にお世話になったシャーペンは早川氏の発明品です。
現在、プラチナ万年筆から復刻複製品が販売されています。
大正期に大成功した早川さんは従業員200人、月間売り上げ5万円を稼ぐ企業にまで会社を成長させますが、1922年(大正11年)2月に過労で倒れ、治療を受け回復しますが、翌1923年に関東大震災が発生。妻の文子さんと2人の子供を別邸に避難させましたが、2人の子供は死亡、文子さんは重傷を負い、従業員の多くも被害に遭い、工場も焼け落ちてしまいます。
しかし、ここで終わらないのが早川さんの運命です。
近く、ラジオ放送が日本でも開始されるという新聞報道を見て、早川さんは胸を躍らせます。





