… … …(記事全文3,024文字)昔の日本人は「食品として食べるのではなく薬として服用する」なんていう、ふざけたような言い訳で忌避されていた物でも摂取していた事実があります。
現代人の感覚では身体に悪い物ではなく、おいしい物なら迷うことなく食べられてしまいそうですが、昔は宗教上のタブーや社会の掟などで食用が忌避された物がありました。
日本では古来、農耕用、乗用の家畜を育てることはあっても、食用の家畜を育てる習慣がほとんどなく、日本人の食生活での肉類は主として狩猟で得たシカやイノシシの肉を食していました。仏教伝来以降は、獣肉全般が敬遠されるようになっていましたが、日本人の間で全く食べられなくなったという時期は歴史上、見当たりません。
獣肉食に関する嫌悪感も時代とともに変化しましたが、多くの人は
①狩猟で得た獣肉は食べても良いが、家畜を殺した獣肉は禁忌。
②足の数が多いほど禁忌。(代わりに平安時代から鳥や魚肉が食されるようになった。)
という基本的な考えが支配的であったようです。
①の狩猟についてですが、農民は鳥獣被害を防ぐための「農具」として領主から鉄砲の所持許可を得る者がおり、田畑を荒らすイノシシやシカなどを仕留めて鳥獣被害を防いでいました。
仕留めた獣はどうしていたのでしょうか。
※歌川広重「 名所江戸百景 」より「 びくにはし雪中 」
この浮世絵の場所は現在の有楽町駅周辺(江戸城外濠)から銀座・京橋方面へと流れていた京橋川(人工運河)に掛かっていた橋を描いたものとされています。
左側に「 山くじら 」と書かれた看板が、雪景色の中に描かれています。「 山くじら 」とは熊肉・猪肉のことで、この時代、狩猟で得られた獣肉はこのような「ももんじ屋」を通じて調理された肉料理が供給されていました。
「ももんじ」というのは百獣(ももじゅう)が転訛したものと考えられています。
転訛というのは、日常会話で「しなければ」が「しなきゃ」になったり、「手前」が「てめぇ」のように民衆に自然に言い換えられたりする言葉の揺らぎのことです。
余談ですが筆者の住む大阪府堺市には「中茶屋」という地名があり、南海バスは「なかちゃや」とバス停留所の案内をしていますが、地元の老人は「なかんちゃや」と言ってたりします。
仏教の影響で肉食がタブー視されていた江戸時代において、獣肉は「薬喰い(くすりぐい)」などと呼ばれて滋養強壮のために食べられていました。当時の人々は、その肉を「山くじら(山に棲む鯨)」や「ももんじ」などと呼び、隠れて肉食を楽しんでいたようです。
今とは違って庶民の味として猪肉は親しまれていた様ですが、江戸時代は建前上、獣肉食が忌避されていたので猪肉は鯨の一種だと言い換えて食されていたのです。
店側も建前上は食べ物ではなく薬として提供しており、客も「薬喰いに行く」と称しているのが洒落ています。
ちなみにももんじ屋の向かいには「 十三里〇やき」と書かれた看板の店があります。
「栗 より (9里+4里=13里) うまいサツマイモの丸焼き」 の意味です。
江戸の人は洒落て言い換えることが好きだったようで、忌避されていた獣肉も隠語を使うことで食品として流通させていました。(後述します。)
②の脚の数が少なければいいという考えから、二足の鳥肉には寛容だったようで、
うさぎは哺乳類ですが、鳥とみなすことで食用としていた歴史があります。
うさぎを一頭二頭と数えず、一羽二羽と数えるのはその名残です。
江戸時代には寺社の門前で当時害鳥だったスズメや養殖ウズラの串焼きなどの屋台が全国で出ていましたから、庶民の肉食は明治維新から始まったという説は間違っていると思います。江戸時代の前から狸汁や江戸時代はウサギ、焼き鳥などを口にしていましたから、維新後に牛肉を初めて洋食屋で口にしてもリバースすることなく「おいしい」と順応できたのだと思います。
仏教伝来前の古代の日本人は獣肉も忌避なく広く食べられていたのでそんなに低身長ではなかったのですが仏教の獣肉忌避概念が定着した江戸時代は大人の身長でも平均150cm台でした。
やはり肉類を食べないとあまり背は伸びないようですね(^_^;)
忌避された獣肉を取り扱った江戸時代の「ももんじ屋」がどんな隠語を使ったのか見ていきたいと思います。


