… … …(記事全文2,525文字)江戸時代、元日の江戸城では、将軍へ新年の挨拶(年頭御礼)を行う「年始登城」が最大の儀式として執り行われました。大名や幕臣たちは家格ごとに定められた装束を身にまとい、早朝から華やかな行列を組んで登城しました。
年始登城の行事は三日間行われ、御三家、御三家嫡子、御連枝、諸大名、諸役人(御家人を除く)、医師、交代寄合、高家などが参加しました。
御家人はお目見え以下のため賀儀に呼ばれませんでした。
以前にも取り上げましたが、江戸城のイベントは原則として諸侯と幕閣、高家、高級幕臣(侍)たる旗本だけに参加資格がありました。
軽輩の御家人は主君への年始の挨拶行事にすら参加できなかったのです。
元日、六つ半刻(午前七時)に将軍と嗣子が江戸城白書院上段の間に着座します。
※将軍視点による白書院上段の間
御三家から官位順に出礼し、老中が太刀目録を披露すると出礼者は即座に下段の間に下がります。
続いて、外様大名筆頭の加賀(金沢藩主前田家)、越前(福井藩主松平家)、因州(鳥取藩主池田家)、以下溜の間詰大名(会津松平家、彦根井伊家、高松松平家など)のうち、少将以上の者は太刀目録を携えて敷居内に入り礼、溜の間大名のうち、侍従以下の者、津山、明石、大聖寺の順に太刀目録を携えて敷居外で礼、続いて老中が(面々が)年始の賀儀を述べらるる旨を将軍に言上して、奏者番が太刀目録を収めて宴が始まります。
宴と言っても兎の肉の吸い物と盃だけで単なる儀式でした。
この「吸い物」ですが、あらかじめ水気は切ってあり、土器の上に兎の肉が乗っている、ただの縁起物で、引き出物として出されたもので、現場で食べる人はいませんでした。酒だけは小姓による三献の儀があり、少しだけ酒が飲めます(^_^;)
あとは懐紙に包んで呉服を賜って退席する形です。
三献の儀の酌は高家が執り行い、呉服の引き渡しは両番頭と中奥小姓のうち、五位以上の者が執り行っていました。これらの幕府側スタッフの装束は高家は狩衣、両番頭、中奥小姓は大紋でした。
ここから順を追って参加者が格下になっていくのですが、徐々に扱いが粗雑(簡素化)されていくのが面白いです。
ちなみに参加者の居所は本人の身分により白書院下段の間、畳何枚目まで定められているほどの厳格さであることにご注目ください。
ここまでの参加者は従四位以上、侍従以上なので、装束は将軍以下全員「直垂」となります。
(将軍近侍の者、儀式係員の高家、案内の同朋などは除くいわゆる「出席者」の装束です。)
将軍の直垂は葡萄色(江戸紫)いわゆる紫色に似ています、将軍嗣子、大納言以上は緋色(鮮やかな赤色)の直垂、その他の面々の直垂の色は上記の色を除き、自由でしたが、浅黄色、萌黄色は勅許が必要なので禁色でした。
早朝から始まる年頭御礼ですが、将軍からは「目出度(めでとう)」とただ一言だけ応じるのが恒例で、幕藩体制の絶対的権威を見せつける場でもありました。



