… … …(記事全文2,024文字)現代は30歳になっても実家暮らしをしている人が普通にいますけど、江戸時代は武家や職人の跡継ぎでなければ多くは10歳前後の町人の子どもは商家に丁稚奉公に出されていたようです。
なので子どもが元服をしても実家に留まるというのは跡継ぎでない限りまず無かったようで、親子が枕を並べるのは幼少期の10年ぐらいのものだったようです。
丁稚奉公は無給ですがその代わり衣食住はタダで、読み書きそろばんを店で教えてもらえるという(寺子屋とは違い、手代によるスパルタ教育ですがw)実家にとっては口減らしになって、子どもに商人として生きる術を教えてもらうことができ、受け入れ側の商家は労働力確保になるという共栄共存システムでした。wikipediaなどに誰が書いたのか知りませんが「丁稚は奴婢」などと書かれていますが、それが事実ならどの親も我が子を丁稚奉公には出しません。
新人のことを「新米」などと呼ぶことがありますが、これは「新前」の転訛したもので、
もとは丁稚の新しい前掛けのことを揶揄したものでした。ご存知の通り、和服の洗濯は手間が掛かるものなので、店から年二回支給される服が汚れるのを防ぐために、まだ子どもの丁稚の汚れ防止のために前掛けをしていたのでした。前掛けならいくらでも洗って干せますからね。