… … …(記事全文6,364文字)2026年、読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が、実娘への暴行容疑で現行犯逮捕され、その後に釈放、監督辞任となったニュースは、日本社会に大きな影響を与えた。
この事件の特異性は、犯行の残虐性や悪質さにあるのではなく、むしろ、ケガもなく、当事者である家族さえも望んでいなかった「家庭内の小競り合い」が、現行犯逮捕と社会的抹殺という最悪の結末まで「自動的」に突き進んでしまった、そのプロセスにある。
一見すると、単なる『有名人による珍しい事例』に見えるこの出来事は、実は日本の法執行のあり方と家庭の定義を根底から変えてしまう「パンドラの箱」を開けた可能性をはらんでいる。
なぜなら、日本の警察行政の歴史において、「一つの象徴的な事件に対する警察の対応」は、その後の全国の警察の標準(スタンダード)となり、社会全体のあり方を180度変貌させてきたからだ。
今回は、この逮捕劇がこれまでの実例から見ていかに「異例」であったかを検証した上で、歴史的な前例である「DV防止法と警察マニュアルの変遷」を引き合いに出し、この事件が今後の日本社会にもたらす巨大な地殻変動について論じたい。
まず、なぜ、阿部監督の現行犯逮捕は「極めて異例」なのか?
従来の警察の実務感覚や法解釈からすれば、今回の現行犯逮捕という判断は「異常」とも言える踏み込んだ対応だった。本来、警察が被疑者の身柄を拘束(逮捕)するためには、法律上の「逮捕の必要性」が厳格に求められる。
具体的には、「身元が不明であること」「証拠を隠滅する恐れがあること」「逃亡する恐れがあること」のいずれかの条件を満たしていなければならなかった。今回のケースを振り返ると、状況は違っていた。
・被疑者は社会的地位の明確な著名人であり、住居も身元も完全に判明している。つまり、逃亡の恐れがない。
・突発的な親子喧嘩であり、現場は自宅内で証拠隠滅の恐れがない。
・長女に怪我はなく、重罪ではない。
・本人も事実関係を認めている。
通常、このような「怪無しの初犯、かつ身元が極めて明白な家庭内トラブル」であれば、警察が臨場したとしても、その場で口頭厳重注意(警告)を与えるか、仮に事件化するとしても後日警察署に呼び出して事情を聴く「在宅捜査」にするのが、これまでの圧倒的な常識だった。
いきなり手錠をかけ、身柄を連行する「現行犯逮捕」を選択したことは、従来の警察の裁量範囲からすれば極めて異例の措置だったのだ。
では、なぜ渋谷署はこれほどドラスティックな強硬策を選択せざるを得なかったのか?
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